私は大好きな人の最期を知らない

文章を書いていると頭に余白がなくなるので大変良い。7月31日の夜、大好きな祖父が亡くなったらしい。よくわからない。

7月30日の夕方、仕事終わりに郵便局へ行き、暑中見舞いのはがきを2枚買った。お盆に帰省する予定だから、その挨拶も兼ねて、祖母と実母にあてて送るつもりだった。窓口は海外への郵便物の対応で混んでいて、待っている女性は局内で流れる音楽が好きなようで、口ずさみながら、ゆらゆらと踊っていた。私は保育園のお迎えがあって急いでいたので、少しそわそわしていた。そわそわしすぎて、別の窓口に呼ばれてやっと購入できたはがきと、それに貼る切手を落としてしまった。切手はひらひらとどこかへ落ちてしまい、踊っていた女性は踊るのをやめ、流ちょうな日本語でだいじょうぶですかと一緒に探してくれた。そして見つかると、よかったと微笑んでくれ、待っている間に内心苛立っていたことを反省した。

夜にはがきを書いた。タッパーを持っていくから、祖母の料理をたくさん詰めて持って帰りたい旨を書いた。子にも、緑のクレヨンで模様を描いてもらった。そのため私と子の連名にして、そうすると夫も並べないとかわいそうだと思い、家族3人の名前を書いた。宛名は祖母一人にしていたが、そこで悩んだ。何年も手紙のやり取りをしていたのは祖母で、暑中見舞いも祖母あてに送っていた。祖父が入院しているからといって、あえて祖父との連名にすることはないなと考え、祖父の名前は書かなかった。でもまだ悩んでいた。出す直前に書き足してもいいなと考えていた。

7月31日の朝、私は少し疲れていて、はがきをダイニングテーブルに置いたままだったことに、出勤してから気が付いた。明日出そうと、夜寝る前にテーブルの目立つところに置いておいた。

その晩、祖父が亡くなった。知ったのは翌朝、珍しく子に起こされる前に目が覚めて、今何時だとスマホを見ると5:45で、その次に実母からのLINE通知が目に入った。「じい、逝去」と書いてあった。一瞬なんのことかわからなかった。そうしているうちに子が目覚め、開口一番「みんみん」と言った。もう一度「みんみん」と言い、リビングにいるセミに会いたがっていた。私の祖父は子からすると曾祖父で、会ったのは2回だけ。抱っこしてもらったのはたった1回。祖父の面会には連れていけなかった。0歳の頃に短時間会った曾祖父を覚えているはずもなく、どうやって伝えてよいか、そもそも亡くなったのが本当なのかもわからず、とりあえず「ぎゅーってしていい?」と許可をとり、子を抱きしめた。子は嫌がってすぐに逃げて行った。子はたいへん機嫌がよく、寝室を走っていた。

夫に伝えると、静かに「そっか」と言い、走り回る子をつかまえてリビングに連れていってくれた。私は布団の上で少しの間ぼーっとして、この世界からいなくなったの?本当に?最後に会ったのいつだっけ、ちゃんとお別れできてたっけ、ととりとめのないことを考えていると、後悔が涙になってあふれて、少し泣くとリビングから子をなだめる夫の声が聞こえてきて、そこでようやく立ち上がった。ダイニングテーブルに出し忘れた暑中見舞いのはがきを置いてあったのが目に入り、宛名に祖父の名前を書かなかったせいだ、と自分を責めた。

祖父が亡くなっても、生活を続けなければいけないので、なんとか、本当になんとか朝の支度を終えた。保育園に送り、職場で上司に報告すると、「そのぐらいの年齢なら、まあ」と笑っていたので、世間の反応はこんなものだよなと思い、トイレへ駆け込んであふれる涙をなんとか、なんとかこらえた。幸い午前中は忙しく、通常通り、あるいは通常以上に業務をこなしながら、足りないものを思い出しては、Amazonで購入した。香典袋、サブバッグ、ストッキング、夫のネクタイなど。明日には届くらしい。

こうしてなんとか忙しくしていても、ふとした瞬間に祖父のことを考える。最後に会ったとき、絶飲絶食が解除されて、なのに勝手に絶飲食を続けていて、祖母が持たせてくれたヤクルトで乾杯したのを思い出した。乾杯すると一口飲んで、もういらないと言い、そして「ビールが飲みたい」と言った。棺にビールを入れられるか調べたら、缶のままではダメだけど、コップに移したらOKとのことなので、そうすることにする。本当は、アサヒスーパードライの135ml缶をそのまま入れたかった。冷蔵庫の右側の扉のポケットに何本も常備されていて、毎晩自分で取って飲んでいた。私が初めて飲んだお酒も135ml缶のビールだった。そのときは未成年で、苦くて顔をしかめると、これがうまいんやと笑っていた。周りは未成年に飲ませるなと怒っていた。そんな思い出の135ml缶を入れたかったけど、ダメらしい。コップに移して飲むなんて滅多にしていなかったけど、手酌で飲んでいた光景も覚えている。今回は孫が直々にお酌するので許してもらおうと思う。私自身のことも許せたらと思う。

文章を書くと落ち着くので、ぐるぐると体をめぐる言葉を吐き出している。次に何を書こうかと一瞬手を止めると、またぼんやり考えてしまう。

祖父が亡くなったらしい。確かめに行くけれど、どうやら、昨晩亡くなって、もう会って話をすることはできないらしい。それはとても、さみしくて、かなしい。きっと。

まだ私は祖父の死を受け入れられていないのだと思う。

訃報が届いたその日の昼は同僚と楽しくランチをした。一人になった瞬間、ランチをしていた、いつも以上に饒舌だった私は誰だったんだろうと思いながら職場に戻り、仕事をした。

大好きな祖父が亡くなっても生活は続いてゆく。祖父の死を受け入れられたら、どうなってしまうのかが恐ろしい。それでも変わらず毎日を生きなければいけないのが、今はたまらなく怖い。

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