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多重人格者の非現実的日常

筆者は解離性同一性障害(多重人格)と診断されている.詳細は著書「ぼくが13人の人生を生きるには身体がたりない。」をご覧ください.

「こういう人間になりたいな」と思ってからの,君の実現力は高い.まずは形から入る彼のこと,憧れる人の服装や口調を真似して,何か問題にぶち当たった時は「あの人だったらどう考えるだろう」と思考に耽る.そういう,君が憧れる人を,数多く見てきた.

頭が良くて,色白で,眼鏡をかけていて,目が細くて,暗い色の髪の毛で,掴みどころのない魅力を持っている男性.

もう,見飽きた.

頭が良い人が好きならいくらでも勉強するし,色白な人が好きならいくらでも日焼け避けするし,眼鏡をかけている人が好きならいくらでも眼鏡を買うし,目が細い人が好きならいくらでも目を細めるし,暗い色の髪の毛の人が好きならいくらでも染めるし,掴みどころのない魅力を持っている男性が好きならいくらでも,いくらでも.

それでも振り向いてくれない君は,僕の存在をどう思ってる?

分かんないんです、僕。

何がどうしてそうなったのか、気がつけば朝を迎え、気がつけば夜を送る。ふかふかの布団で眠ることも、ぽかぽかの湯船に浸かることも、ほやほやの食事を摂ることも、全部僕が知らない間に、日々は過ぎ去っていくんです。それが日常茶飯事で24時間の記憶を保っていることなんて殆どない、最近は昼食がじゃがりこになっていると知らされたくらいで、仕事だって何故か上手く回っている。僕が発言したことが怖くなるんです、以前にも同じことを言ったのではないか、それは僕ではない別の誰かなのではないか、ずっと心配なんです。でも主治医に言ったって今更でしょう、僕の記憶のパッチワークは今に始まったことじゃない、ギリギリのところで糸を紡いで繋ぎ止めて、必死に社会的生活を回している。

彼の名前を僕が知った時は、およそ8年前のことだと思います。学校からの帰り道、地下鉄のホームを抜けて乗り換えの駅まで歩いている時でした。常に頭の中で聞こえている、僕ではない僕の声に問いかけたんです、君の名前は何だと。そうしたら、「土が2つに漢数字の一だ」と言うではありませんか。そこからズルズルと芋づる方式に明らかになる僕ではない僕の中の人格の名前、13人まで膨れ上がった、いつの間にか誰かに身を預け、僕は逃げることが多くなりました。逃げると現実と夢の区別がつかなくなり、手足は自分の物ではないように思え、目の前の風景がずっとドラマを見ているような感覚に陥ります。

僕はきっと、頭は悪くないのだと思います。

その中でもKと名乗る彼は、ズバ抜けて頭が良く、シビアに物事を考える人格でした。恐れ多くて話しかけることも出来ませんでしたが、彼が成す学業の成績を見て震えました。「これは僕の物じゃない」と何度も成績表を破りそうになりました。今だってそうです、作り上げられた研修資料を眺めては「これは僕の物じゃない」と何度もシュレッダーにかけそうになります。同一人物だとは思わないで欲しい、僕は何も出来る人間ではないのです、僕はただの一般的な人間なんです。いつのまにか取っていた資格も、いつのまにか卒業していた大学も、何もかもが僕の物であるのに、僕の物ではないのです。そうした実感もなければ、記憶もない。

分かんないんです、僕。

周りから認められ、周りから褒められ、僕は置いてけぼりになるんです。本当は大したことのない人間なのに、そのKは僕には出来ない様々なことをしてみせるから、僕は困るんです。だって、あたかも僕がした事のように周りからは見えるんですから。よく言われるんです、「知らない間に何でも出来てるんだからいいね」と。怖いんですよ、僕が知らない間に僕が知る由もない知識を身につけ、僕はそういう立場の職務に就いている。そういう期待を背負って生活をしなければいけない、それが怖くなってまた逃げれば、僕ではない別の誰かが社会的生活を回し、また僕が知らない間に時は過ぎ去る。

Kくん、貴方は僕より2個上の年齢だと聞きました。僕が憧れるような人であるとお見受けしました。確かに僕は前述のような人が好きです。僕は、貴方の形跡を見る度に絶望します。コミュニケーションが好きで物事を考えることが得意なYくんとコンビで、僕が到底出来そうにもないことをしでかすのが、僕には怖くて仕方がないのです。

彼の立ち位置を奪いすぎた,という自覚が少しあるかもしれない.仕事の裁量が大きくなって,僕の得意分野が広がった.元々,他人と接することが好きなYと,書類作成が好きな僕が,社内の相談援助業務とバックヤードを引き受けるのは,多分向いていたのだろう.おかげで仕事が楽しいし,順調に社会的生活を回している.何も出来ないと嘆く彼は,本当は彼から生まれた僕らなのに,彼は僕らを認めようとしない.僕とYは決して外部から放り込まれた化け物ではなくて,彼の本性なのだと考えてくれなくて,日々の魅力的な仕事に取り憑かれて,曖昧なままに時間を進めている.

駅のホームで騒ぐ,女の子たちの集団が見えた.僕が乗る電車は走り去っていく.

仕事が出来ると思ったことは一度もない.頭が良いと思ったことは一度もない.僕がこなした仕事が評価される時,いつも受け取るのは彼だ.他人と話すことが好きなYは,仕事先の人や利用者と話すことはあれど,自ら進んで話にいくタイプではない.どちらかというと,部屋の片隅で見守りながらニコニコと待っている.僕はそういうことに一切,向いていない.おおよそ「僕は話しすぎだ」と後悔するのは彼だけで,彼が話すカンペのようなものを出しているのは僕とYだ.僕とYの知識と,彼の知識には大きな隔たりがあって,僕らのヘルプがなければ,彼は何かを思い出すことさえ出来ない.彼が1人で生きていると見せかけるためのカラクリで,勤務先の人に「今は誰?」と聞かれても,僕もYも決して自分の名前は言わない.あくまでも彼.僕らは彼の人生を乗っ取りたいわけではない.

誤差が縮まらない.彼は遠く彼方に飛んで行く.僕はそれを追わずに,世界をやり過ごしている.そもそも今の仕事で生活をすることで精一杯だし,彼は仕事帰りの電車の中ではたと気づくのだ.「僕は今日、何をしていたんだろう」と.もちろん仕事に行ってそれなりに仕事に取り組んで帰っている途中なわけで,彼は僕が勉強中の資格の知識も知らなければ,僕が作ったシステムの修正の方法も知らない.会社の人たちは寛容だ.彼が「記憶がない」といっても笑い飛ばしてくれる.やるべきことをこなし,なすべきことをなせば,上司も社長も正当に評価してくれる,規模は小さいけど器が大きい会社だ.もちろん全てが良いわけではなく,そこは僕とYが上手く取りなしていくのだがーーー,それはまた別の話.

多重人格の人間が社会に適応することは,絶望的に難しいと思う.同じ当事者の中には入院をしていたり,障害年金をもらって生活している人もいる.こういう言い方はどうかと思うが,彼は「軽い」当事者なのだろう.それでも僕やYの記憶が彼に還元されない時点で既に症状は表れているだけであるが.真っ当な人間になりたいと願い,真っ当な生活にしたいと祈り,もうそういうのってやめてほしいと思わないわけではない.記憶がバラバラになる彼の恐怖感は底知れぬものであって,僕やYには想像もつかない.僕やYは彼の記憶も持っていて,あまり記憶が途切れることがないからだ.

眼鏡が新しくなったとか、髪色が変わったとか、見慣れない洋服が増えたとか、日常を生きている僕はそこにあまり興味がなくて、ただ楽しく仕事が出来ればいいと思っている。他人と話すと世界が広がるし、誰かに物事を教えると理解が深まるし、決してコミュニケーションが上手だとは思っていないけど、人並みに話せると思っている。そういや、心療内科に置いてある顔認識の体温計、マスクを外さないと認識しないってこのご時世バグだって思うんだけど。

あっけらかんと記憶がないと語る彼は心の奥底に闇を抱えていて、その暗さは僕やKやその他の人格だけが知っている。宇宙のように吸い込まれそうな悪の強さを放っていて、一度その沼に入ると出て来られなくなるような、底無しの世界だ。僕はそういう状態を監視する役で、彼の記憶をバックアップする役で、いわゆる統括リーダーみたいな人間なのだけど、最近に至っては彼は少し出て仕事をするばかりなので、僕とKが殆ど仕事をしている。分かんないよね、彼。だって僕も分からないからね。

心と身体の調子はとても良くて、仕事で忙殺されそうになっているくせに、情緒は安定している。もちろん不安定になる時もあるけれど、お腹いっぱいご飯を食べて温かいお風呂に入ってぐっすり眠れば、大体はリセットされる。そういうの、大事だと思う。彼はそういうことに無頓着だけど、僕は重要だと思っている。処方された薬を取りに来た薬局の、点けっぱなしのテレビから、ワイドショーが流れている。決定的な事実はただ、彼の中には何人かの人格が動いていて、その主となる僕とKが仕事を捌いていて、彼はふとした時に出てくる。それは会社の人と雑談をしている時(雑談はあまり好きじゃなくて)、Youtubeを見ている時(ニュースの方が好きで)、髪を乾かしている時(ドライヤーの音が苦手で)、ほんの些細に思えるかもしれないけど、彼だって日常を紡ぐ一員で、それに気づかないんだよな、彼。

ほら、まただ。目の前で別れを告げる同僚が、僕の元を去る。今は何処にいるって、勤務先の最寄り駅。辿り着いた一本線の電車に乗り込む。車内で揺れる30分間、僕はいつも通りに帰路につくわけです。「ああ、今日も何もしなかった」と。流し読みした2000文字に眉を顰めて、やっぱりどうしようもないんですって喚きたくなる。いいですか、いくら頭が良くたって、いくら仕事が出来たって、頭が良くもなければ仕事が出来もしない人間が、期待されるのはしんどいんです。僕は何も出来ないんです。何がどうなっても僕の人生、もうそんなのうんざりなんです。何も出来ないし何もしてないんです、僕は。だから僕の方を見ないでほしい、僕を評価しないでほしい、頭が回るなんて思わないでほしい。それは僕じゃなくて、KとYなんです。

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