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祖父母の家に行った話

僕の祖父母は、80歳に近い。関西の山の近くの一軒家に住んでいる。交通アクセスは悪く、バス停まで徒歩20分の上り坂。車がなければ不便な立地だ。洋風で大きなリビングといくつかの部屋は、本棚や大きな段ボール箱が埃を被っていたり、壁に穴が空いていたりするが、Wi-Fiは完備でタブレットは3つ、プリンター1つ、パソコンが1つと割とハイテクな暮らしをしている。Youtubeを見るのもお天気を見るのもお手の物、LINEでスタンプも動画も送ることが出来る。

祖母がスマートフォンのデビューをしたのは数年前だった。僕が付き添って最寄りの駅の近くにあるショップで契約をした。今回の帰省は、祖父がスマートフォンに変えたいと言ったからだった。かんたんスマホに手を触れた祖父は、僕にLINEの設定を任せて僕は祖父に説明したが、多分祖父は分かっていない。きっと、スマートフォンを操作する祖母に憧れただけなのかもしれない。ついでに直してくれと言われたパソコンは、キーボードもマウスも反応しなくなっており、ものの見事に壊れていた。

祖父も祖母もカルチャーセンターで川柳や詩の先生をしていて、パソコンやタブレットで文字を打ちたいのだという。僕は祖父にタブレットで文章を打つ方法を教えたが、実際に使ってくれるかは分からない。中古で2万円で買ったというパソコンは無線LANに対応しておらず、Androidのタブレットは動作が重かった。それでも祖父も祖母も色々と工夫して生活をしているらしい。ちなみに祖母のタブレットはiPadなので動きはサクサクだ。

一軒家の崖の下には、祖父が手入れをしている畑が広がる。最近はイノシシが食い荒らして大変だそうだが、畑で収穫した作物は、祖母の手によって料理され、食卓に並ぶ。

祖母も祖父も、ガンだった。祖母は副作用の影響で骨が脆くなっており、最近、背骨を6本も折ったらしい。僕は帰省中に祖母の手伝いをして来いと母に言われたので、風呂掃除をしておいた。祖母は僕が帰省する前、家がゴミ屋敷のようだと母に言っていたそうだが、僕が帰省をすると知ってから祖父が張り切って片付けをしたらしく、思いの外綺麗だった。それでも一軒家の至る所に手すりがつけられていた。要支援の判定が出た祖母が、つけてもらったのだという。僕は祖父母がいつまでもある命ではないと、手すりを見て少し怖くなった。いつまでも元気だとは限らないのだ。

「いつでも帰っておいで」

仕事の愚痴を溢す僕に、祖父と祖母は言った。母も僕も、東京で暮らして早7年。仕事と勉強と必死にやってきた。母はあと数年で定年になる。祖父も祖母も僕と母が帰ってくることを望んでいた。もうすでに祖父が「帰ってきたらどこの部屋に住みたいんだ」と聞いてくるくらいには。僕は、祖父母が大好きだった。

僕と母には、帰る家がある。母は以前、今の一軒家を売って小さなマンションで生活してほしいと祖父母に言ったそうだが、祖父は断固としてそれを聞き入れなかった。「帰ってくる家を用意しておきたいから」と。

僕は最近仕事でへっぽこな人間になっていて、先週の木曜日は号泣しながら家に帰った。母には心配されないように、泣き止んでから自宅に帰ったが、次の日も僕は泣きながら職場に行った。何が辛いのか分からなくて、何がしんどいのか分からなくて、主治医には転職した方が良いと言われ続けて早1年、多分どこか僕はギリギリで戦っている。1年前に食道潰瘍で救急搬送され休職になった時、己の身体が如何に脆いことかを思い知った。

あと3年。僕が28歳。きっと僕の転機ではないかと思っている。祖父も祖母も母も、僕を否定しなかった。僕は普通に高校も大学も就活もしなかったけど、ずっと応援してくれていた。もう仕事を辞めて、死んでしまいたいと思うことが何日も続いて、でも僕には帰る場所があった。


幸せなことだと思う。

僕はこれを自慢したいわけではなくて、今の職場を否定したいわけではなくて、今の仕事も(一部を除いて)周りの人間も好きだし、だけどどうしても辛くて苦しくなった時、助けを求められる人がいるだけで心強かった。

独りで辛くて苦しむ人を見かけた時、僕には何が出来るだろうと考える。僕は話を聞いて出来る限りの何かを提案することしか出来ない。cotonohaに来る相談に目を通し、僕はほんの僅かな力にもならない言葉で呼びかけることしか出来ない。あまりにも僕は無力だった。

僕には実現したい夢が少しだけあって、でも祖父母が「帰っておいで」と言ってくれた時、僕が起業をすることも応援してくれた時、僕は今まであんまり具体的に考えたことはなかったけど、ちょっと、きちんと夢を見たいって思うようになっていった。お金のことは相変わらず苦手だけど、ちょっとだけやりたいことはあって、それは別にお金儲けするためのものではなくて、だけどほんの少しでいいから、誰かのためになりたいと思う。

もう少しだけ、もう少しだけ。
僕の区切りがつくまで、僕は頑張れる。

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