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コンタODした時のこと

先月、酔いに任せて自宅でコンタックを1シートODした。
DXM系は懲りたはずだったんだが、あの日はヤケだったのと病んでたのと、並行して楽しかったから、躊躇いもなく一気に行った。

そもそも酒を浴びるように飲んでいたので、すぐに寝落ちした。
地獄は翌朝やってきた。

俗に言う「自分がロボットになった感覚」
頭と視覚情報と体、全部がバラバラで、意識して動かないと思ったように動けないのだ。

歩くと、体がめちゃくちゃ軽く感じた。
トイレまでひょいひょい行ったのを覚えている。

途中、思考が加速してこんな事を考えていた。
以下、当時メモしたものの全文。



iPadを探したいけど、頭を動かすと気持ち悪いからひたすらベッドでうだうだしてる

モラトリアムって感じ

夏休みみたいな、春休みみたいな、夏に実家で出てきたソーメンみたい

恐竜図鑑を図書館から借りてひたすら読んでわくわくしてた夏

ラジオ体操、白樺、家の近くの図書館の駐車場が待ち合わせ場所だった、白いキノコが生えてて「ブナピーだ!!」って笑ったあの日

なんか自由研究って退屈だよな
やたらと卵ネタが多かった進研ゼミ

風船のヨーヨーは絶対ピンクだった
それを部屋のドアノブに引っ掛けて、指で弾いて遊んで、やがてそれは萎んでった

あー今、「私」の核心に触れてる
これは
わたしの記憶
楽しかった、それだけを抽出している

悲しいことなんてなにもなかったよ
優しいお母さん、面白いお父さん、そして
わたし
ちゃおを読んで、キラキラなビニールに触れるのが楽しかった
すきなひとと両思いになるようにおまじないの本を買って実践するの、すごく楽しかった
魔法みたいだった
ほんとに両思いになれて嬉しかった
あの、発表会の体育館の脇で、告白してくれたこと
嬉しすぎて漫画にして残してた
やっぱ俺はあの頃から表現者だったんだな。

あ、いま、俺になった。
これ便利だな。
はーあ

この感覚、痛みがなんか鈍く感じるからピアスを開けるなら今だって感じ。
開けよっかな、トラガス?
んーーー待って考えようか

あーでも、手元が狂うから今は繊細な作業出来ないな、やめとこう

はやく薬抜けねえかな、起き上がろうとすると気持ち悪くなるのだけが厄介

なんか、大切なことを思い出せた感覚?がする。
忘れちゃいけないなにか。

とりあえず水飲むかぁ、飲んだ
喉がギュルギュル鳴っててウケる

ちょっと薬抜けてきた、よかったぁ
ってことで、ここでおしまい。


こんなものを残していた。

なにが「悲しいことなんてなにもなかった」だ、嘘つけよ。
いつどっちが死んでもおかしくないような両親の喧嘩はほぼ毎日だった。
自分が学校に行っている間に、お母さんが死んでしまっていやしないかと心配でならなかった中学時代。
散々人格否定の毎日。
ブサイクと父に言われ、父に似てる部分を非難する母。


きっと、戸籍上の俺は、全部なかったことにしたいんだろう。
でもそれは無理な話、一生消えない事実。

それでも、俺と、わたしの中には、きらきらした綺麗な思い出があることも事実。

それを思い出せたので、まあ、サンキューコンタック。


皆は、薬は用法用量を守れよな。
まあ時と場合によるから、沢山飲む時はゲロ袋なりポカリなりヨーグルトなりを常備しとくといいぞ。

んじゃ。

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