ただただ、チラ裏なはなし。

好きな雑貨店があった。

現在の居住地に引っ越して10年以上になるが、わりと最近になって見つけた個人経営のこじんまりとしたお店。
店内の雰囲気はどこかホッと落ち着けるようなもので、インテリアに店主のセンスが光る素敵なお店だった。

つい先日、数ヶ月ぶりに足を運んだときのこと。
見慣れない貼り紙があった。

「当店はマスクの着用については自由です」とのことで、このコロナ禍で幾度となくニュースで耳にしてきたマスクに関する小競り合いを思えば、なるほどこれは賢いやりかただなぁと感じた。
お客さんの姿勢を尊重して任意でどうぞ、ということなのだろうと思った。どちらにも配慮しているようで優しい。
併記された内容に、ある違和感はあったのだけれど特に気にしないことにした。

店内に入り、しばらく商品を見ている間に気付いたことがあった。
店主がマスクを着用していなかった。

(予め強めに申し上げておくが、私はマスクをしていない人を見て怒ったりはしないし、問い詰めもしないし、事情があって着用できない方がいることも知っている。私自身もマスクは大嫌いでこれまではインフルエンザの流行時期でもマスクはせずに生活してきた。いまマスクをしているのは、単純に自分が罹患したくないからである。)

以前、お店に来たとき店主はマスクを着用していたのを覚えている。
それだけに、少し不思議に思った。


帰宅後、そのお店のSNSを見て驚愕した。
いわゆる、「目覚めた」方だったのだ。

「マスクをしていても、感染しているひとがいるのだからマスクは意味がない」
「子供がかわいそう。大人がマスクを外さないと、子供も外せない」

といったようなことが書かれており、「目覚めた」系インフルエンサーの投稿をよくシェアされているようだった。
このコロナ禍で陰謀論者が増えたことは分かっている。
SNSではよく見かけていたものの、その存在はどこか遠くのものだった。
しかし突然、自分の生活圏内に、私の目の前にあらわれた。
怒りや悲しみや嘲笑ではなく、ただただ動揺した。
好きな店だったから尚更だ。


思想は自由である。そう思う。
単純にそのお店の意思と私の考えが違う、というだけ。
だから「あぁ。そうかぁ」くらいにしか思わなかった。
いくつかの投稿を見るまでは。


その店主は、マスクを着用しているひと達を嘲笑していた。

「マスクが外せないのは、コロナ以外の別の病気である」(精神的な病、という意味)
「マスクをしているのは、意識他界系」
「もしお客さんが不安に思っても、そのお客さんの気持ちは気にしない」

というようなことを、何度か投稿していた。

そして、冒頭のお店の貼り紙について。
こちらに併記されていたのは『お子さんのマスクは外してあげてください』という一文だった。
『外して"あげてください"』という言葉選びに違和感を覚えた。
配慮としての貼り紙だと思っていたが、その言葉選びには私が感じた以上の意思の強さといくらかの押し付けが見えた気がした。
『私の考えはこうです。お店の方針は、こうします』というだけなら、「そうなんですね」で済む。
しかし、店主は感染予防をしているひとを侮辱し、嘲笑するハッシュタグを嬉々として使っていた。
それを知った時、『マスク着用でお店に入った私を、店主は「バカだな」と思ったのだろうか』という考えが頭を過ってしまった。

最近では同じような活動家がそのお店に出入りしていると聞く。(地元民の情報網は半端ない)


好きなお店だった。
好きなお店だったなぁ。


考えは各々違うので、糾弾することもないし、お店に詰め寄ることもしない。何も言わずただ離れるだけ。
店主からすれば、私のような考えの者はそもそも願い下げかもしれないけれど。

コロナの心配がなくなったら、またお店に行けるだろうか。
正直なところ、今の私にはよくわからない。

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