結局助けたほうが効率的

ある日の通勤ラッシュのターミナル駅の改札口に、耳が聞こえないらしいおじいさんがいた。

乗り越し精算をしたいものの、機械の扱いがわからなくて困惑していたらしい。

コロナ禍で駅係員は最低限しかホームにいない。窓口にも立っていなくて、さっと見回しただけでは駅員さんを探すのは難しい状況。呼び出しボタンを押しても、係員が来てくれるわけではなく、スピーカーで案内するだけ。助けたいけど時間がない人、見てみぬふりする人、おじいさんが手間取る様子に腹を立てる人、いろいろいた。

乗り越し精算機の数は限られていて、何人も別の機械に並びに行き、おじいさんの後ろに立っているサラリーマンは貧乏ゆすりをしてあからさまに苛立ちアピール。なんというか、情けないなぁと思い。

そんな急いでるなら手かしてさっと終わらせてあげたらいいだろ

別ベクトルの苛立ちを浮かべつつ、おじいさんのヘルプへ。ここで耳が聞こえないことがわかって、筆談で対応した。どうやら機械のエラーで処理がされていない。窓口まで駅員さんを呼びに行って、エラーも解消。滞りなく列は進み始めた。

おじいさんはしきりに手を合わせてお辞儀をしていた。周りの苛立ちや焦りは、耳が聞こえないぶんさらに敏感に感じ取れてしまうのだと思う。深々と頭を下げられてしまった。

エラーを解消したあと、すぐに列は動き出したし、別の機械に並び直した人よりも早く改札を抜ける人だっていた。問題は障害はわかる人間がさっさと解消するに限る。もちろんある程度自身でやることも大切だけれど、これは別に授業や仕事ではないのだから。困り果てて動けない人がいるなら、できる人が助けたほうが結局スムーズに事は運ぶのだ。

ともあれ、その後すぐにおじいさんのことは気にせず、僕は面接へ向かった。優しさなんてそんなもんでいいだろう。優しさや思いやりは、やったほうもやられた方も気にしないくらいがいいと思う。

優しさが照れくさいなら、効率がいいからって蓑を被ったっていいんだから、手を差し伸べてやればいいのになぁ、なんて考える。

#誰かの役に立てたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?