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こんなに好きなんです 仕方ないんです

先日観た花火をサムネイルに、久々のnoteを綴ります。


みなさんこんばちは、お元気ですか?

気づけば2ヶ月ほど更新する気力もなく、花火が似合う季節となりました。

夏真っ盛り。もう止められないね(冷房)。

私といえばこの2ヶ月を経て住処が変わったり、相変わらず人生の転機を信じて日々勉学に励んでおります。


生き様、ちゃんと此処に刻んで背負ってこ。

そんな自戒も含めて「励んでいる」と記します。

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ちょっと奥さん、私ね、花火の話がしたい。

花火を通じて得た「美しいな」と思う瞬間について。

先日、花火を眺めながらふと、美しいなと私の心が揺れるタイミングに気づきました。

それはまっすぐ空を駆け上がるひかりを見た時。

それは柳のように枝垂れる残り火を見た時。

大輪の花を咲かせる瞬間は綺麗ですが、美しいという気持ちはいつもそういった「前」と「後」に私の中に現れるんだなと気づきました。


「美」という字は...


(おっ、金八先生?)


(ちがうの、そうじゃないの)

美、という文字は左右対称で、完璧な乱れのないベストな瞬間に「美しい」をあてがうのが常な気もします。

もちろんそれも美しさのひとつだと思う。
だけど、私の心は美しさを過程に求めてる。


何かに向かって形作ろうとする姿、全てを終えた者たちが放つ余韻。そういう時間の積み重ねに美しいと言いたい、思いたいと感じるのです。

花火に限った話でもないのかも。

人も、作品も、積み重なった時間が構築したかたちで、私はその積み重なった時間を美しいと感じているのかもしれない。


しのごの言わずに、あんた目に見えたものをありのまま受け取りなさいよ!とお叱りを受けそうな気もする。その気持ちもめっちゃわかる。めんどくさいもん、この人。


でも、積み重なった時間のこと美しいと愛でたい私のこと、どうか許してね。


本当、いつも何の話してたんだっけって思っちゃう。

花火が美しいと思う瞬間について。


日記というか抽象的で的を得ない私哲学にお付き合いいただきありがとうございました。


P.S.

音楽番組でaikoの花火のカバーを聴いたらカラオケに行きたくなりました。

暑さに気をつけて、たやすみなさい。

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