小説『マイクロ各駅停車』

壁から伸びるコードは各乗客の持つスマートフォンに接続されていた。シートに腰かけた彼らは手に持った端末の画面を眺めるやや前傾の姿勢を保ちぴくりとも動かない。それは私の身体も同様だった。届いたばかりの朝刊の見出しを開封する。


【東神鉄道マイクロ実験から今日で100年】2120年4月15日 08:00
あの日世間を震撼させた悲惨な事故から今日で100年の節目を迎えた。2010年頃から人口増加に伴う諸問題の対策として省資源・食料消費の抑制が世界規模で執られ、公共事業のみならず私設研究所も立ち上がり各方面の専門家らが日夜研鑽していた。2020年4月15日15時3分北武蔵川駅発の10両電車を実験対象に用いたのは2018年に環境対策連合の実験資格許可証をはく奪されたR研究所出身の5名だった。同研究所は生命のマイクロ物質化を掲げた動物実験を行ったことを問題視され、厳重注意と謹慎の処罰も受けていた。彼らは急行の待ち合わせのため停車していた3分の間に車内へ受信装置を取り付け、発車直後の密閉された車両へ特殊な周波数の振動を与えることにより、電車と乗客を一体化し視認できないマイクロ粒子へと変容させた。前代未聞かつ非人道的な事件は、しかし乗客たちの生命そのものは失われていないことから5名の研究員に当初極刑は下されなかった。複数の捜査・検証チームが出した結論によると、外部から電磁波を継続的に受け続ける環境に置かれている限り車両は充電され、乗客たちはその一部として生命と意識の連続稼働が可能だということだった。なおこの技術は宇宙工学・医療分野にも応用し得るとされ利用が検討されたが、子孫らによる被害者の会、人道に反すると抗議する団体の声が根強く、関連する情報は地球秩序保全連合により秘匿されている。現在も当該車両は見付かっていない。



やっと100年が経った。情報端末の一部となった私にはもはや渇きや空腹がない。記事が指摘する通り、我々は充電され、稼働している。発信ができれば救難信号が出せたのだろうが、あいにくその手段は100年が経過した今でも見つからない。ただ受信するがまま情報を流し読み、それを食事とし、意識を継続させることしか私にはできない。誰も口を利かない。密封された車内に音は無い。だからスマートフォンを見続けている。

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