恋猫【第一話】恋猫を、一緒に探しませんか(1)

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恋猫【第一話】恋猫を、一緒に探しませんか(1)

(1)
その朝、いつものように登校した後藤比呂志は、下駄箱の中に置かれたピンク色の封筒に気づいた。
〝恋猫を、一緒に探しませんか〟
 中の手紙には、たった一行の言葉が記されていた。差出人は青木真由、クラスメートでありクラス委員でもある優秀な女子だ。まさかと思い、すぐには信じられなかったが、「これはもしや」と胸が高鳴った。
 入学したときから好意を持っていた女子。
 三年生になって組替えをしたそのなかに、真由がいるのを知ったときは、どれほど嬉しかったことか。数日間はろくに眠れず、毎朝、教室に来て真由がいるのを確かめるような状態だった。
(恋猫か)
 早くも都市伝説になりかけている噂話を思い浮かべた。
 身体のどこかにハートマークを持つその猫に逢うと恋が成就する。猫の色や名前、飼われているのか、野良猫なのか、さらにオスかメスかも不明。出没するのは武蔵野近辺、恋猫に出逢えた男女はほとんどがカップルになっている等々、毎日のようにインターネットで騒がれていた。自分には関係ないと思い、気にしたことはなかったのだが――。
(これは夢かもしれない)
 自分で頬をつねってみたが、とても痛かった。夢ではないようだが、フワフワして現実感を覚えられない。どれぐらい呆然としていただろう、
「おはよう、比呂志」
 背後でひびいた挨拶を聞き、慌てて手紙を鞄に入れようとしたが間に合わなかった。目敏く見つけた親友の村上勇太が手を伸ばした。
「おい。なんだよ、それは」
「なんでもないよ」
 間一髪、手紙を鞄に滑り込ませる。上履きに取り替えて歩き出すと、勇太が素早く隣に並んだ。
「おまえも知ってのとおり、おれは目がいい」
 囁き声で告げる。
「頭は悪いけどな」
「そうなんだよ、頭は、なんてことを言わせるな。見たぞ、差出人の名前。可愛らしいピンク色の封筒に、後藤比呂志様と書かれた綺麗な文字。裏には……」
「だれにも言うなよ」
 比呂志は言い、階段に向かった。
「言わないけどさ」
 勇太も追いかけてくる。
 二人が通うのは私立の中高一貫校で、校風ものんびりしている。高校受験の厳しさがないからだろうか。一年生の女子が二年生の男子にラブレターを出しただの、二年生の男子が三年生の先輩女子をデートに誘ったのだという話は枚挙に暇がなかった。
 とはいえ、比呂志は今まで一度も女子と親しい間柄になったことはなく、ましてや密かに好意を寄せていた女子から手紙をもらうなどは青天の霹靂である。驚きが大きかったものの、表面上は平静を装っていた。
 親友としては気になるのだろう、
「知らなかったな。おまえが委員長とそういう関係だったとはね。おれの知らないところで付き合っていたわけか」
 階段をのぼりながら、勇太が小声で話しかけてきた。
「邪推はよせ。付き合っていないし、個人的に話したこともない」
「季節は春、胸がときめく五月だ。比呂志君の話を信じるとすれば、委員長は初めての恋文をしたため、意を決して下駄箱に入れたってことか。ちなみに初めての恋文は、おれの推測だからな。もしかしたら、初めてじゃないかもしれない」
 古めかしい恋文という表現を使って、ひとりごちた。二人で落語研究会をやっているからかもしれない。勇太は時々、他のクラスメートに笑われてしまうような言葉遣いをするのだった。
「いいか、勇太」
 比呂志は、三階の教室の前で足を止めた。
「手紙のことは、おれとおまえだけの秘密だ。男の約束だ。繰り返しになるけど、絶対に言うなよ。それから相手の女子に対しても、意味ありげな目を向けたりするんじゃない。いいな」
 目と目を合わせて真剣に告げる。級友たちに広まったが最後、からかわれたり、「ほら、あの二人よ」的な見方をされたりして、うまくいかなくなるのは目に見えていた。そうやって壊れたカップルを、どれほど見てきたことか。たった一行に込められた真由の想いを、比呂志はしっかり受け止めたかった。
「わかった」
 勇太もまた、真面目な顔で答えた。言いふらしたりはしないだろうが、態度で示すことは充分、ありうる。悪気はないかもしれないが、とにかく周囲に気づかれたくなかった。
「その代わりといってはなんだけどさ。どんな内容だったのか、おれにだけはあとで教えてくれよ、な?」
「いや、それは……」
 答える前に、勇太は教室に入っていた。比呂志も続き、窓際の後ろから二番目の席に鞄を置く。さりげなく青木真由を見たが、彼女はいつものように廊下側の席で本を読んでいた。
 頭が良く、美人というよりは可愛い印象を受ける。スポーツも万能で、女子でありながらも委員長に推薦されていた。男子や女子に関係なく信頼を集め、なにかと頼りにされている。つい先日の体育祭のときには、学年を纏めてリーダーを務めたりしていた。
(いつもと変わらないな)
 なんとなく拍子ぬけした。会釈ぐらいはするかも、いや、目ぐらいは合わせるのではないかと思ったのだが、見事に裏切られていた。もしや、下駄箱を間違えたのではないだろうか。他の男子に渡すはずの手紙だったのでは……。
(今から弱気になってどうする)
 失いかけた自信を奮い立たせる。第一、恋文と呼べる内容かどうか。たった一行の言葉は、最近よく聞く恋猫を、一緒に探さないかという短いものだ。
(もし、本当におれへの手紙だったとしたら)
 なぜだろう。なぜ、自分だったのか。
 無意識のうちに廊下側の席を見やっている。その列の一番後ろにいるのは、親友の村上勇太だ。目が合った瞬間、にやりと笑い返されてしまい、素早く視線を戻した。意味ありげな目を向けるなと言っておきながら、この始末。あとで突っ込まれるのは確かだろう。
 しかし、と、つい考えていた。比呂志は特に成績が優秀なわけではない。スポーツはサッカーだけは多少、自信があるものの、それとて突出した巧さではなかった。不細工ではないかもしれないが、イケメンとは言いがたい顔立ちだ。身長は百七十四センチ、今のところは痩せ形だが、注意しないと父親のように腹が出るのは間違いない。太りやすい体質だと思っていた。
(これといった取り柄なし)
 自他共に認める普通の中学生だ。たったひとつ打ち込んでいるのは落語だが、真由は落語に興味があるのだろうか。高校と合同で開く秋の文化祭のとき、たった二人の落研は、それぞれが創った新作落語を披露するのだが、真由は一度も来たことがないはずだ。あるいは来ていたのに気づかなかっただけなのか。
(いや、それはないだろう)
 妙な自信を持っていた。まず勇太が黙っていないし、他の男子も話題にするだろう。今まで真由に恋話は出ていないが、それは彼女が真面目で近寄りがたい雰囲気をまとっているからだ。ゆえに、もし、落語を聞きに来ていたら噂になるのは確かだった。
(わからない。今世紀最大の謎だ)
 やはり、渡す相手を間違えたのではないだろうか。そっと鞄の中を確かめてみる。宛名は間違いなく、後藤比呂志様になっていた。

【続く】

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