20221104 休職に関する雑記

休職してからまもなく1ヶ月が経とうとしている。もうすぐ復帰することも考えなくてはいけない時期になってきている。休職するときはとても後ろめたかった。みんな夜遅くまで働いているのに、嫌なこともやっているのに、自分は嫌のことから逃げているだけなんじゃないか。自分がただワガママなだけなんじゃないかって。本社の人に休職届を出したとき、わたしがいかに頑張ってきたか、気を遣ってきたか、孤独だったかを知った。見てる人は見てるのだ。仕事のことは忘れて休みなさい、今までと違う考え方を持ちなさい、と言われたことは忘れてない。会社にひとりでもわたしのこと─ほんとうのわたしのこと─を見てくれてる人がいるなら、ちゃんと休んで戻ろうと思った。

休職して1〜2週間で心身ともに「普通」になった気がした。疲れをきちんと感じることができるようになった。予定を詰め込み過ぎたら疲れる。DJしたあとは疲れる。こういう些細な疲れを感じることで回復に向かっているのを実感できた。

いまは休職して3〜4週間目、考えるフェーズだと思ってる。今後のこと、仕事や人生について、どうしたいのか。だけど、考えてもわからなかった。

自分がもう一人ほしいと思う。自分と対話をしたい。家にいるぬいぐるみたちはわたしであってわたしでない。会話をするけど、答えは教えてくれない。ぬいぐるみと会話なんて頭おかしくなったんじゃないかと思われるかもしれないけど、話さないと自分の言葉がわからなくなるときがある。

休職中は公園に行けなかった。仕事モードになってしまう自分がいたから。だけど、電車の窓から公園を利用している人たちを見て、いい空間だなと思ってしまう。某ミュージシャンが公園でDJしたときの感想のツイートを見て、公園っていいなと思ってしまう。結局のところ、社会インフラの整備に携わっていたので、仕事を忘れることなんてできなかった。社会インフラの中でも特に公園は人を幸せにするインフラだと思ってる。そんな素敵なものをつくってたのか、自分は。最高じゃないか。そう思うと涙がこぼれた。やっぱり自分はランドスケープデザインが好きなのだ。

じゃあなんで心を病んでしまったのか。消去法で考えると、詰まるところ人間関係なのではないかというのが、今現在の結論。人間関係というか、人との接し方だと思う。本社の人にも言われたようにわたしは全ての人に気を遣って、セクハラまがいのことを言われても笑い飛ばして、嫌な顔一つせず、冗談を言っちゃうような、所謂「何言っても大丈夫系女子」だったのだ。もっと気を遣ってほしかった、もっと心配してほしかった、もっと大切に扱われたかった。。これは、わたしの人生においても言えることであり、根が深い。ここを変えるためにはもう少し時間がほしい。

わたしは自分で言うのもおこがましが、頭の回転も早いし、なんでもそれなりにできてしまう。だから、誰かを頼ることなく、ひとりで問題解決をしてた。ずっとひとりぼっちだった。ずっと孤独だった。だからみんなでパーティーをするのが好きなんだ。

そんなひとりぼっちな自分を変えるためにはどうすればいいのだろうか。それが課題。

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