20221114 感情の解放

休職して1ヶ月が経った。まだ復職できないので年明けまで休職することになった。

今は仕事をしていない。ランドスケープ・アーキテクトという肩書きが一時的になくなった。DJもやめてDJという肩書きがなくなったらどうなるんだろう。こんなこと思うのは自分がいかに肩書きとかラベルとかを重要視しているからなのだろう。ほんとはそういうの嫌なのに。何かに寄りかかっている自分が嫌だ。わたしはわたし、そう言って、自分の足で立っていたいのに。

わたしという人間が、どんな人間なのか、一番知っているはずの人がわかっていないのだ。なんの装備もない自分で生きるのが怖いのか?怖いんだろうな。強い人になりたいとは特段思わないが、弱いままの自分もつらい。

理想の自分というのがいて、それを目指してそうなるように振る舞って生きてきたけど、それももう疲れた。高みを目指すことは素晴らしいことだし、向上心は持ち続けていたい。でもそれは本来の自分を受け入れてることが前提なんだと思う。

感情の解放。反射的反応をしない。これがまず休みの間にできるようになりたい。

感情の解放については、徐々にできてきていると思う。仕事のことを思い出しても、大して働いていなかったなという記憶しかないが、他の人から見たらそりゃー病むよねっていう異常な働き方をしていたらしい。なぜ認識が乖離しているのか、それは感情に蓋をしていたからなのかもしれない。そして、休んでいる間に、徐々にその蓋が開いてきた。

自宅でリモートワークをしていたある日の夕方、上司から電話がかかってきた。「明日からしばらく福岡に行ってくれ」。そう言われて抵抗する暇もなく、気づいたら航空券を買って福岡にいた。数週間で帰れると思ったけど結局2ヶ月いた。泣きを入れて週末は東京に帰らせてもらってたけど、移動距離を考えると相当疲れは溜まっていたと思う。東京に帰っても休日勤務で現地調査に行ったりしていた。当時はそれは仕方のないことだと思っていたけど、今考えるとひどい話だなと思う。理不尽だなと思う。でもそれを吐き出すことはなかった。ダメになってしまった要素はイロイロあるけど、このことが引き金になったのは間違いないと今は思う。つらかった。

2ヶ月後東京勤務に戻っても、つらかった。リモートワークをメインとしていたが、会社に出勤がメインとなったのも、つらかった。そのうち朝起きれなくなった。

ここにつらかったときのことを書くことで、少しは気持ちが成仏するような気がするので、書きました。

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