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パーリ語で仏典を読み始めた経緯

いつかパーリ語が読めるようになりたい

私のパーリ語についての知識は、法話を聞いたり、本を読んだり、礼拝や日常的に読誦される経典に触れることで知ることができた程度でした。

dukkha、dhamma、saṅghaといった基本的な単語をいくつか知っていて、覚えているパーリ文といえば、礼拝、三帰依の言葉くらいでした。パーリ文を覚えてその内容を知っていても、文法を理解している訳ではありません。

これまで一度だけ、2日間で(もしくは3日間)、講師の方にパーリ語を教えていただく機会があったのですが、さすがに期間が短すぎて、パーリ経典を自力で読めるというレベルには達しませんでした。

この機会に辞書と文法書も揃えました。しかし、文法書はサンスクリットの知識を前提としていたり、解説文も旧字体で書かれていたりと、私が読んでも理解できませんでした。自分でも独習が得意な方だとは思うのですが、それでもハードルが高すぎたようです。パーリ語関連書籍はそのまま押し入れの肥やしとなってしまいました。

いつかパーリ語が読めるようになるとよいな、とぼんやり思ってはいましたが、幸いにも日本語だけでもテーラワーダ仏教について充分に学べていたので、パーリ語学習のための行動はしていませんでした。

ちなみに、パーリ経典の日本語訳については、一時期、毎日少しずつ読んでいたことがありまります。長部・中部・相応部、そして増支部の途中までは読んでいます。

YouTubeパーリ語講座を視聴する

2021年、現代語で書かれた新しいパーリ語の文法書(大谷大学のショバ先生著「パーリ語文法」)が発売されたことを知りましたが、前回のようなこともあるので、独習は難しいだろうと決めつけて何もせずにいました。

2022年7月、花園大学の佐々木閑先生が、自身のYouTubeチャンネルで、ショバ先生の文法書を使ったパーリ語講座を公開されていることを知りました。

当時、創作系の趣味を始めようかと思い、数冊本を読んでいたところだったのですが、それらを放っておいて、こちらの講座に望みを掛けて取り組むことにしました。

まずは文法書を購入しようと思ったのですが、時期が悪かったためか、Amazon、楽天ブックス、紀伊国屋書店などのオンラインストアでは見つかりませんでした。しかし、ダメ元で地元の大きな書店に行ってみたところ、運良くショバ先生の文法書を見つけることができました。

パーリ語文法 仏典の用例に学ぶ (ショバ・ラニ・ダシュ)

動画を1回分視聴したら、文法書の該当箇所を読むということを繰り返しました。まずはざっと文法の全体像を知ることが先決ですので、あまり時間を掛けすぎないようにしました。
一通り文法書を読んだ後は(韻律は除きます)、各章の末にある練習問題を復習も兼ねて解いていきました。ショバ先生の文法書は練習問題に出てくるパーリ文も仏典からの抜粋であるという特徴があります。

buddhassa ācariyo n' atthi. (VP.I.8)
  buddha m. sg. gen.
  ācariya m. 阿闍梨、師 sg. nom.
  na 否定
  atthi ある 3 sg.
  ブッダの師はいない (ブッダに師はいない)

Notionのメモ書きより

パーリ文の単語を一つずつ調べて「ブッダに師はいない」と訳せた時、「本当にパーリ経典をパーリ語で読んでいるんだ」と強く実感することができました。

ちなみ、VPとは Vinaya Pitakaで律蔵からの引用ということになります。
調べてみると実際の文章は以下の通りでした。

na me ācariyo atthi

VP. I. 8

「私には師はいない」となります。文脈なく切り出しているので分かりすく改変してくださっているようです。na の位置も練習問題と異なります。

練習問題は10章の途中で飽きてしまったので、さっさと実際のパーリ経典を読み始めることにしました。パーリ文を読んでいて分からなければ、また文法書に戻ってくればよいと思っています。

パーリ語を読み始める機会を作っていただいた、ショバ先生と佐々木先生には感謝の言葉しかありません。

実際のパーリ文を読み始める

ここまで、2ヶ月から3ヶ月かかったでしょうか。
(手元の記録からすると、2022年の10月頃には実際のパーリ文を読み始めたようです。)

パーリ文としては tipitaka.org のローマ字版を利用しています。
 https://tipitaka.org/romn/ 

また、GRETILというサイトで Pali Text Society 版の内容をデジタル文章で閲覧できることにずいぶん後になって気づきました。現在はこちらも参照しています。(ただし、基本的に注釈書は含まれないようです。)
http://gretil.sub.uni-goettingen.de/gretil.html#Suttapit

私は英語で書かれた洋書を多読をしているのですが、その「多読」と同じような方法が使えればよいと思っていました。
簡単な単語と文法が使われた本(Graded Readers)から読み始め、徐々に難易度を挙げつつ沢山の本を読むことで、最終的には一般的な洋書が読めるようになるという方法です。辞書を引かない、分からない箇所はバンバン飛ばす、という特徴もあります。

残念ながら、仏教の聖典に使われているパーリ語で英語のGraded Readersにあたる本はおそらくないでしょう。しかし、ひたすらにパーリ文を読んでいくということはできるはずです。

では、何を読み始めるかですが、ダンマパダなどの偈文は避けることにました。偈文の個数が決まっていてよさそうですが、散文と違って、韻のために文法が重視されない、より古い表現が使われている、と聞いていたので初学差には向いていようだったからです。日本語の初心者が俳句で勉強を始めるようなものでしょうか?

ジャータカ物語を読み始めるが諦める

抽象的な文章よりも具体的なストーリーのある文の方が読みやすいかとおもい、ジャータカ因縁物語がよいのではないかと考えました。2つだけ物語を読んでみて、少し難しいと感じました。

  • #20 サルたちと湖のオニ Naḷapānajātaka

  • #316 捨身月兎 Sasapaṇḍitajātaka

    • 月にウサギの模様がある由来となる話

ジャータカ自体は小部経典に収められていますが、それは偈文だけで、物語の方は注釈書に書かれています。つまり、初学者が注釈書を読んでいることになるわけです。手元に参照できる日本語訳(子供向け)と英語訳がありますが、逐語訳ではなかったようでパーリ文との対比が難しかったです。

ジャータカ物語は一旦諦めることにしました。

中部経典を読み始める

その後、日常経典の慈経、吉祥経をパーリ語で読みました。その頃に、中部経典を少し読んでみて、よさそうなら順番に読んでみてはどうかと考えました。

(以前に日本語訳を読み始めた時に、長部経典の初めから、つまり梵網経という長く難しいお経から読んでしまって難儀した、という失敗経験があり、順番に読み始めるなら中部経典がよいと思った次第です。)

原始仏教 13 (2003), 14 (2003) (中山書房仏書林)

中山書房仏書林から出版されていた「原始仏教」という小冊子に片山一良先生による中部経典の日本語訳がありましたので、まずはこの2冊(計: 6経)をランダムに読んでいきました。

片山先生の訳では、随所に注釈書の内容や対応するパーリ語を脚注に記載してくれており、パーリ文と対比しやすいことに気づきました。日本語訳を読んでいる時も思いましたが、私の性格と相性が良いようです。

また、Bhikkhu Nanamoli, Bhikkhu Bodhi 両氏による英語訳である"The Middle Length Discourses of the Buddha: A Translation of the Majjhima Nikaya"も随時参照しています。日本語訳を見ても理解できない場合は、英語訳を確認します。
日本語訳と英語訳で一致していることもありますが、一致しないこともあります。その場合は、専門家でも分からない箇所なのかもしれないと考え、あまり気にせず先に進むことにしています。

また光明寺さんのサイトでは、各単語の品詞、性、格などを事細かに公開してくださっています。自分で考えても文法構造が分からない時に参照しています。
光明寺経蔵: https://komyojikyozo.web.fc2.com/

片山先生の日本語訳参照することで中部経典を読み進めていけそうな感触を得たので、大蔵出版の書籍を参照しつつ中部第1経の根本法門経から順番にパーリ仏典を読んで行くことにしました。

OD> パーリ仏典 第1期 <1> 中部(マッジマニカーヤ)根本五十経篇 1
(片山一良) 大蔵出版

それでもやっぱりパーリ語を読みたい

ここまで書いておいて何なのですが、テーラワーダ仏教の理解のためにパーリ語を読める必要があるのかと言われたら、専門家でも出家でもないことを考えると、そこまで必須ではないように個人的には思います。むしろ、その時間を日本語での勉強と瞑想に当てた方がよいのかもしれません。

ただ、「それでもパーリ語を読めるようになりたいんだ」という人はいるのではないでしょうか。

私も機会を得ることができて、パーリ文を読み始めることはできましたが、パーリ仏典への理解が深まったという実感は今のところありません。

菩提心で学んでいるというよりも、言語自体に対する興味や古代インドの言語が読めるようになってワクワクするというロマンを追いかけて学んでいるような気もします。

「古代インドの言語の習得を趣味の一つに加えたので、これから何十年も楽しめそうだ。将来的には自分の仏典への理解が深まるかもしれないと薄く期待している。」といった程度が今の正直な気持ちかもしれません。

私の気持ちはさておき、日本語でパーリ語を独習できる環境が近年整ってきていますので、パーリ語を読み始める人が一人でも増えることを願っています。

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