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戒を満たし禅を疎かにせず観を具えよ 中部#6 希望経 読了

戒を満たし禅を疎かにせず観を具えよ

2023/05/09 に 中部#6 希望経 Ākaṅkheyyasuttaṃ を読了しました。

本経では、「もし比丘がAと希望するならば、諸戒を満たし、禅をおろそかにせず、観をそなえなさい。」という内容のフレーズが、最後まで繰り返し説かれています。
(以下の文では、「比丘が希望すること」を「A」で置き換えています。)

パーリ文

‘‘Ākaṅkheyya ce, bhikkhave, bhikkhu – ‘A’ti, sīlesvevassa paripūrakārī ajjhattaṃ cetosamathamanuyutto anirākatajjhāno vipassanāya samannāgato brūhetā suññāgārānaṃ.

M. N. I 33
  • ākaṅkhati 希望する, 意欲する, 願う

  • sīla n. 戒, 戒行, 習慣, 道徳

  • paripūrakārin [水野] 全分行者, [雲井] 完成者

  • ce conj. もし

  • anirākata a. 無視しない

  • jhāna n. 禅, 静慮

  • vipassanā f. 観, 毘鉢舎那, 観法, 内観

  • samannāgata a. 具備した, 具足の

パーリ語仏典を読み始めてから、初めて vipassanā という単語が出てきました。ヴィパッサナー瞑想のヴィパッサナーに相当します。

パーリ語釈: 基本的には[水野]
[水野] 増補改訂 パーリ語辞典 水野弘元 (春秋社)
[雲井] 新版 パーリ語佛教辞典 雲井昭善 (山喜房仏書林)

片山訳

比丘たちよ、もし比丘が、〈A〉と希望するならば、もろもろの戒を充分に満たし、自己の心の寂止に努め、禅をおろそかにせず、観をそなえ、もろもろの空屋の増益ぞうやく者になることです。

片山訳から抜粋 パーリ仏典 中部 根本五十経篇I p. 104
第6 希望経

正田訳

正田大観氏の訳がオンラインで閲覧できるようになりました。せっかくなので、併記します。

比丘たちよ、もし、比丘が、『A』と望むなら、まさしく、諸戒における円満成就を為す者として、内なる心の止寂(奢摩他・止:集中瞑想)に専念する者として、瞑想(禅・静慮)を放却しない者として、〔あるがままの〕観察(毘鉢舎那・観:観察瞑想)を具備した者として、諸々の空家の利用者(瞑想修行に励む者)として、〔世に〕存するべきです。

正田訳から抜粋 中部経典根本五十経篇
「望むなら」の経

片山訳における「空屋の増益者」という部分が「空家の利用者(瞑想修行に励む者)」と訳され、理解しやすくなりました。

比丘が希望すること

「比丘の希望」としては、次のようものが挙げられています。

  • 同梵行者たちに愛され、好まれ、尊重され、尊敬される者になりたい

  • (一部省略)

  • 不快・快を征服したい

  • 恐怖を征服したい

  • 四禅を容易に得る者になりたい

  • 預流者、一来者、不還者になりたい

  • 神足通を体得したい

  • 天耳通、他心通、宿命通、天眼通を体得したい

  • 漏尽通を証得したい (解脱、阿羅漢果)

一般的な希望である尊敬から究極の阿羅漢果まで、その範囲は非常に広いです。

まとめ

比丘が希望することを実現するには、「諸戒を満たし、禅をおろそかにせず、観をそなえる」ことが必要であるということです。まさに、戒・定・慧の三学が説かれています。

パーリ文: tipitaka.org
片山訳: パーリ仏典 中部 根本五十経篇I 片山一良 (大蔵出版)
正田訳: アラナ精舎 経典ライブラリー 正田大観 (オンライン)

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