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行く末

 疑問という概念は、人類の手に残された僅かな進化の種子だ。それに解決と新たなる疑問を託けて知識へと昇華させるそれは、まさしく人を人たらしめる要因といえる。
 逆を言えば、無我無欲とは人としての本能の逆走だ。神も仏もそうあれと説くが、それはつまるところ進化の停滞だ。求めず、顧みないことは純粋で美徳とされているが、では欲することは悪であるといえるか。
 人は古来よりあらゆる事で効率化を図ってきた。それは何事にも疲弊が伴うからであり、楽をしたいからでもあり、何より面倒だったからである。故に人は常に疑問を携えるようになり、それを起点にあらゆる物は便利で効率的なものになった。それが叶ったのも途方もない疑問と答えの積み重ねの結果であり、その根底には知識欲が深く根付いている。
 あらゆる疑問と問いかけと答え。知識の欲求としての渇きと飢え。無欲であることの、なんと下らないことだろうか。そしてそれが最終的に人類の自己帰結に繋がるのであれば、二者択一の問いにどうやら正解はないようである。
 つまり人はここまで来た以上、後戻りはできない。行くとこまで行くしかないのだ。

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