【英語版刀剣乱舞】写しと偽物と贋作と

刀剣乱舞ONLINE英語版の翻訳が日本語版とあれこれ変わっていて面白かったので、色々解釈にチャレンジしてみた記事です。

今回参考にさせて頂いた英語版Wikiはこちら

引用に関しては大体

日本語版
英語版(私の和訳)

のような順番で表記します。和訳はGoogle翻訳DeepL翻訳を参考にしつつ、単語の違いが分かりやすいように直訳やカタカナ語を多用しています。あまりあてにしないでください……。

いろんな写し

まずは「写し」を見ていきます。

山姥切国広(Yamanbagiri Kunihiro)

山姥切国広だ……何だその目は。写しだというのが気になると?
Yamanbagiri Kunihiro.(山姥切国広だ) You don't have to say anything.(何も言わなくていい) I know, you're disappointed that I'm just a copy...(分かってる、俺がただのコピーでがっかりしたんだろ……)

山姥切国広 入手

心なしか日本語版に比べてしょんぼり感がアップしています。
ここでは「写し」は「copy(コピー)」

俺は山姥切国広。足利城主長尾顕長の依頼で打たれた刀だ。……山姥切の写しとしてな。だが、俺は偽物なんかじゃない。国広の第一の傑作なんだ……!
I am Yamanbagiri Kunihiro. (俺は山姥切国広)The sword made as the order of Nagao Akinaga, the lord of Ashikaga Castle. (足利城主、長尾顕長の命令で作られた剣だ)...As a copy of Yamanbagiri.(…山姥切のコピーとして) I'm not a fake though.(だが俺はフェイクじゃない) I am the best masterpiece of Kunihiro...!(俺は国広の最高傑作なんだ…!)

山姥切国広 刀帳

順当な翻訳に見えます。
(3/18 追記:「I'm not a fake though.(だが俺はフェイクじゃない)」については、「fake」の辞書的な意味が「人を欺く目的で作られたcopy」なので、「騙すつもりはない」という感じになりそうです。詳しくは以下のツリーで。)

国広は修行を通じて表現が変わるので修行帰還も見てみます。

写しがどうとか、考えるのはもうやめた。俺はあんたの刀だ。それだけで十分だったんだ
Being a reproduction no longer bothers me.(リプロダクションだということは、もう俺を悩ませない) My role as a Touken is to serve you.(俺の刀剣としての役目はあんたに仕えること) That's all I ever needed.(俺に必要なのはそれだけだったんだ)

山姥切国広 極 修行帰還

copyじゃなくてreproduction(再現されたもの)になっている……。

「copy」は「写し」の基本的な英語訳ですが、同時に紙媒体を中心に「複製」などかなり広く「写したもの」を意味するのに対して、「reproduction」は「再現された生産物」であり、「手順をまねて作ったもの」というニュアンスになるようです。ざっくり言うと「見た目が似ている」のが「copy」、「作り方が似ている」のが「reproduction」っぽい。
写しであることではもう悩まない(Being a reproduction no longer bothers me.)というあたり、写しであることを受け入れる方向で考えるのをやめたというのがよく分かります。審神者の刀という役目を全うする、それさえあれば、写しだからと悩むことはない。主は写しの俺を分かってくれるからというニュアンスが伺えます。

次にソハヤノツルキ。

ソハヤノツルキ(Sohayanotsurugi)

ソハヤノツルキ ウツスナリ。坂上宝剣の写しだ。よろしく頼むぜ。
Sohaya-no-Tsurugi Utsusunari, these are the words carved in to my blade.(ソハヤノツルギ ウツスナリ、これが俺のブレードに刻まれた言葉だ) Just a replica of a greater sword.(もっと偉大な剣のただのレプリカさ)

ソハヤノツルキ 入手

ソハヤの「写し」は「replica(レプリカ)」なんだ?
……と思いきや。

ソハヤノツルキ ウツスナリ……。この言葉が俺を示すもの。坂上宝剣の写しにして、大典太光世とは兄弟だな。主を変えて使われ続ける在り方と、主とともに長き眠りにつく在り方。刀としてはどちらが幸せなんだろうなぁ?
Sohaya-no-Tsurugi Utsusunari, the fake blade.(ソハヤノツルギ ウツスナリ、フェイクブレードだ) Tell me, what do you think is better(あんたはどっちがいいと思うか教えてくれ), to be passed from hand to hand, or to rest forever with your master?(手から手に渡り歩くのと、主と共に永遠の眠りにつくのと)

ソハヤノツルキ 刀帳

レプリカどころかフェイクブレード(偽の刃)って言ってるよ!?

「replica」は「本物そっくりに作られた模造品、複製」。「fake」は「本物そっくりの偽物」。
ソハヤは刀帳の「この言葉が俺を示すもの」が、英語版では入手時「these are the words carved in to my blade」と刀帳の「the fake blade」に分解されているようです。
ソハヤは実装名が「ソハヤノツルキ」です。そして「ウツスナリ」が「Utsusunari」でローマ字なので、英語話者にはおそらく「『写し』であってソハヤの剣そのものではない」という意味が伝わらない。だからこその「the fake blade」だとすると、ソハヤが言ってるのは「ソハヤノツルギウツスナリ、つまり(ソハヤノツルギの)フェイクだ」くらいの意味。「この言葉が俺を示すもの」ってそういう意味だったの!? 「ソハヤノツルキって名前だけど、『ソハヤノツルキ ウツスナリ』の銘が本当の俺を示す言葉。写しであってソハヤノツルキそのものじゃないぜ」って?!
「写し」は玉鋼でできたれっきとした刀剣なので「レプリカ」とは違うし、まして「贋作」ではないということで物議を醸しそうですが、英語版では「写し」という専門用語が使われているわけではないこと、写しの刀剣男士は両者とも「霊力」を気にしていることから、刀剣男士としての質の違いの話をしているのか……? という雰囲気もあります。刀剣男士として単体で成立している「写し」は、そもそも「写し」として奇形なのかもしれない。

また「坂上宝剣」の固有名詞や「大典太光世とは兄弟」という話が削除されていますが、このあたり元ネタ上は怪しいと言われているようなので、その関係もあるのかもしれません。

写しまとめ

山姥切国広は
写しcopy、reproduction
偽物→fake
「山姥切の写し」→「a copy of Yamanbagiri」

「偽物なんかじゃない」→「not a fake」

ソハヤノツルキは
写し→replica、fake blade
「坂上宝剣の写し」→「a replica of a greater sword」「the fake blade」

写しの悲哀~コピーとレプリカ~

こんな二振りの回想、英語版では一体どうなっているんだということで
回想其の29「写しの悲哀」を見てみます。まずはタイトル

PART 29: The Sorrow of the Replica(レプリカの悲哀)

えっこれ完全に「ソハヤノツルキ ウツスナリの悲哀」ってこと?
冠詞が特定のものを指定する「the」で「replica」はソハヤしか自称に使ってない上に単数形なので、どちらかと言えばソハヤに見えます。

国広:俺は、コピーではない
ソハヤ:コピーでいいじゃねえか
国広:なん、だと
ソハヤ:写しから始まってもいいじゃねえか。問題はその後だ。生きた証が物語よ
ソハヤ:お前の物語をつくりな
国広:…………

国広:I am not a copy.(俺はコピーではない)
ソハヤ:If you were, would that be such a bad thing?(もしお前がコピーだったとして、それはそんなに悪いことなのか?)
国広:What?!(何!?)
ソハヤ:Who cares how you started out?(お前の人生がどう始まったかなんて誰が気にするよ?) It's how you choose to live your life that makes all the difference.(お前がどう生きるかを選ぶことが、全てを変えていくはずだ)You've gotta do things your own way, y'know?(自分のやり方でやるしかない、そうだろ?)
国広:......(……)

「ソハヤノツルキ」という本歌そのものの名で生きる「ソハヤの剣のフェイクブレード」が、「山姥切国広」というあくまで固有の名で生きる「山姥切のコピー」に対して「お前の物語を作りな」と言っている。えらい皮肉な話ですね。ソハヤの物語はどこまでいっても「ソハヤノツルキ」という他の刀の名の物語。けれど、だからなんだ? 俺は俺、ウツスナリだ。それを誰も気にしたりしない。だって仕方ないじゃん、それ以外やりようがない。ソハヤは自分自身について、半ば諦めの境地でそういう答えを出しているからこそ、国広に「だからお前も気にするな」と言っているのではないか。日本語でもそういう雰囲気はありますが、英語はタイトルのせいでより強くそう見えます。
一方の国広は刀帳で「a copy of Yamanbagiri」として打たれたと自己紹介していたのに、日本語通り「I am not a copy」と言って自己紹介を否定。コピーとして作られたがコピーではない、フェイクではないと言っている状態の国広を、レプリカ、フェイクを自称しコピーでもいいだろうと言うソハヤと対比すると、国広は「『写しコピー』は『レプリカコピー』でも『フェイクコピー』でもない」という専門用語としての「写し」の話をしているようにも見えます。(だからこそ修行を経ての「写しリプロダクション」?)

ソハヤの修行が気になりすぎる今日この頃です。

真作と贋作

次は「贋作」を確かめてみます。

蜂須賀虎徹(Hachisuka Kotetsu)

蜂須賀虎徹だ。俺を贋作と一緒にしないで欲しいな
I'm Hachisuka Kotetsu.(俺は蜂須賀虎徹)I am most positively, most definitely, 100% NOT a fake. Understand?(俺は最もポジティブに、最も明白に、100%フェイクでは・な・い。分かったかな?)

蜂須賀虎徹 入手

圧が強い圧が。あまりの強さに思わず笑顔になってしまいました。
蜂須賀が not a fake と言うために「most positively(最もポジティブに)」とつけているのも気になります。蜂須賀は公式で長曽祢に惹かれる一面もあると言われているので、長曽祢を意識しているからこそ出てくる言葉でしょうか。(国広推しとしては「あの not a fake にネガティブな意味があり得るのか?」と興味深いです)
(追記:positivelyは「明確に」の意味なんじゃないかと教えてもらいました、ありがとうございます。)

蜂須賀虎徹だ。蜂須賀家に伝来したことからこう呼ばれているんだ。 銘入りの虎徹はほぼ全ては贋作と言われているが、俺は本物。一緒にしてもらっては困るんだよ
Hachisuka Kotetsu.(蜂須賀虎徹だ)My name comes from being handed down in Hachisuka clan.(俺の名は蜂須賀家に伝来したことが由来になっている)Most of the Kotetsu with the signatures in are said to be fake, but I am genuine. (ほとんどの銘のある虎徹はフェイクと言われているけれど、俺はジェニュイン)Don't put me together with them.(それらと一緒にしないでくれ)

蜂須賀虎徹 刀帳

さらに「真作」を確認するために極も見てみます。

これが、本当の虎徹だよ、その真価、これから主に見せるよ
Behold the splendor of a true Kotetsu.(真の虎徹の素晴らしさをよく見て) I'll soon show you my looks don't deceive, master.(俺の姿がごまかしじゃないことを、すぐに見せてあげるよ、主)

蜂須賀虎徹 極 修行帰還

蜂須賀虎徹だ。虎徹の真作と呼ばれているが、その言霊にこの身は縛られすぎているようだね。 強く美しいのが虎徹だ。……それでいいと、本当は思っている
I'm Hachisuka Kotetsu.(蜂須賀虎徹だ) I had always been extolled as "genuine," but this led to me becoming narrow-minded. (俺はずっと『ジェニュイン』と称えられていたけど、これは俺の心が狭くなることに繋がっていた)For me the meaning of "Kotetsu" is beauty and strength.(俺にとって、『虎徹』が意味するのは美と強さ) ...I believe nothing more is indeed.(…それ以上はないと信じている、本当に)

蜂須賀虎徹 極 刀帳

というわけで、「本物」「真作」はどちらも形容詞用法の「genuine(ジェニュイン)」

純正品、メーカーの正規品、みたいなイメージでしょうか。対する「贋作」は形容詞用法の「fake」、修行後使っている「本当の」は「ture」。

genuine から解き放たれて ture に至った蜂須賀。そこに fake がどう絡んでくるのか(あるいは来ないのか)気になります。

長曽祢虎徹(Nagasone Kotetsu)

長曽祢虎徹という。贋作だが、本物以上に働くつもりだ。よろしく頼む
I'm Nagasone Kotetsu.(俺は長曽祢虎徹)I may be a forgery, but I'll work as hard as any real Kotetsu sword.(俺はフォージェリーかもしれないが、どんな本物の虎徹の剣にも負けないくらい働くつもりだ)

長曽祢虎徹 入手

「贋作」に対応する名詞として「forgery(フォージェリー)」が使われています。

「fake」が「本物と見分けにくい紛い物」という意味が強いのに対して「forgery」は「偽造されたもの」つまり、「正規ルートで作られていない」という意味が強そうです。

次に刀帳。

おれは長曽祢虎徹......の贋作だな。打ったのは虎徹じゃない。源清麿という、四谷正宗の異名を持つ刀工だ。まともな刀工の作が故に、贋作の中では出来がいいほうだな。もっとも、おれの元の主は、最後までおれが本物だと信じていたようだが。……ああ。元の主は近藤勇という
I am... the fake of Nagasone Kotetsu.(俺は……長曽祢虎徹のフェイクだ) I was counterfeited by a swordsmith named Minamoto Kiyomaro.(俺は源清磨という名の刀工によって贋作された) His skills were so fine that my first owner lived his whole life believing I was the real Kotetsu.(彼の腕はあんまり確かだったから、俺の最初の持ち主は一生涯俺を本物の虎徹だと信じていた) ...His name was Isami Kondo.(彼の名は近藤勇だ)

長曽祢虎徹 刀帳

四谷正宗の異名について省かれています。
こちらでは「贋作」は既出の「fake」です。「打ったのは虎徹じゃない」に当たるのは動詞「confeit」で、そのものずばり「偽造する」という動詞。

そして「本物の」は「real」

ニュートラルな「本物」として「real」が使われているようです。

真作と贋作まとめ

蜂須賀虎徹は
贋作→fake(名詞/形容詞)
本物&真作→genuine(形容詞)
本当の→ture
「本当の虎徹」→「a ture Kotetsu」

長曽祢虎徹は
贋作→forgery(名詞)、fake(名詞)、confeit(動詞)
本物→real(形容詞)
「長曽祢虎徹の贋作」→「the fake
of Nagasone Kotetsu」
「本物(の虎徹)」→「real Kotetsu」

「fake」はやはり「贋作」として使われているので、ソハヤが国広よりも長曽祢のほうに近くなっているように見えるのが興味深いです。日本語版では刀帳は「写し」で繋がってたはずのソハヤと国広、英語版ではソハヤがフェイクブレードになって贋作の長曽祢とフェイク繋がりになっている。「写しの概念がない世界」で「写し」がどういう位置づけになるかが可視化されて凄い。

本当は山姥切長義も並べて山姥切の話がしたかったのですが、既にお腹いっぱいな上に山姥切だけでもネタが山盛りなので、次回に持ち越したいと思います。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

追記:次の記事できました