キム・ミンギュを「カッコいい」と言うことは、「カッコいい」から逃げてきた私が、ちゃんと「カッコいい」と言う練習

結構最近まで、イケメンに対して「カッコいい」というのが恥ずかしかった。というか怖かった。

5歳くらいの時、SMAPの森くんを「カッコいい」って言ったら、母に「濃い顔好きなのね〜w」と笑われた。嵐がデビューしたとき、ブルボンのプチについていた松潤のシールがかっこよくて、鉛筆削りに貼ったら、母に「やっぱり濃い顔好きなのね〜w」と言われた。笑い(というか嘲笑)をwで表現するのは、この頃よりもまだ先の話なのだけれども、あの母の言葉の最後にはどう考えてもwがついていた。ぜってえゆるさねえ。

まあ、この怒りはまた別の機会に晴らすとして、今日は、そんな「カッコいい」という気持ちを馬鹿にされたばかりに、「カッコいい」から20年くらい逃げてしまい、SEVENTEENの爆イケメンバー・ミンギュが最後まで覚えられなかった話をします。

「カッコいい」と思って素直に「カッコいい」と言って笑われた私の「カッコいい」観は、その後、どうなったか。ジャニーズ等を避け、イケメンと呼ばれし者たち(妻夫木聡とか)をすべて、ちょっと引いた目で「ほーん、素敵やん」と思っておくくらいに留めるようになった。

あと、団地住まいだったころに、隣の家の子が他の号棟の子を引き連れて「ちほブースカ(本名、千穂といいます)」と言ってきたので、幼い頃から容姿に自身がなかった。それが故に、自分が「カッコいい!」と心を動かされた相手に、ブスと蔑まれる可能性のあることが本当に怖かった。「カッコいい」人に会ったときに、相手が自分をつゆほども気にしていない未来を予測して、まだ起こってもいないことなのに、悲観したのである。よし、人気のある男の子はなるべく見ないぞ。アイドルにキャーキャーなんて言ったって、心が通うわけじゃないんだから無駄だよ。……かくして、わたしの「カッコイイ」からの全力逃避が始まったわけなのだ。

そしてその逃避行は、いつしかイケメンを直視できない呪いとなり、単純に直視できないならまだ良かったけれど、時が経つにつれ、もう何がイケメンなのかわからなくなるという境地に陥ってしまったのである!だから、SEVENTEENの爆イケことミンギュの顔は、13人の中で一番最後まで覚えられなかった。イケメンだとわからなかったのだ。

というか、なんなら、ミンギュの存在を認識したばかりの頃、すごく意地悪そうな顔と思っていた。今思うとすごい怖い状況なのだ、これ。だって、ようやく顔を覚えたのに、イケメンだと思うよりも前に、「意地悪そう」と認識してしまっていたわけだ。イケメンを見た瞬間、勝手に性格悪いと思い込んでいるわけです。こんな怖い認知の歪みが他にあるだろうか、いやない!

そんな「カッコいい」から逃げ続けていた私ですが、もう降参しました。だってこの人、意地悪じゃないんですもん。ほかのメンバーに愛されているんですもん。みんながミンギュと絡むたびに、嬉しそうなんですもん。にっこりしているんですもん。私はミンギュの何を見ていたんだろうか。

ミンギュと、ミンギュとともに楽しそうにしているメンバーたちの笑顔は、イケメンを認識できず認識しても意地悪だと思ってしまうという、わたしにかけられた呪いを少しずつ解いてくれた。そして今では、「カッコいい」と言葉にできるようになった。

キム・ミンギュは、私が失っていた言葉「カッコいい」を取り戻してくれた。とにもかくにもカッコいい。家に帰ると、ライブで買ったうちわのミンギュが出迎えてくれる。「カッコいい!」とつぶやく私。今日もまた、キム・ミンギュはかっこいい。明日もまた、キム・ミンギュはかっこいい。それでいいじゃないか。相手と心が通うとか、どうでもいいじゃないか。カッコいいものをカッコいいって思って、ちゃんとカッコいいって言うの、超楽しいじゃん。キム・ミンギュをカッコいいと思えている私、大丈夫だ。心が動いているぜ!

きっとわたしが森くんをカッコいいと言って笑われたあの日から、私にとってイケメンはまんじゅうになった。まんじゅう、こわい。イケメン、こわい。

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