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強く儚い者たち

クラゲやパラフィン紙、サイダーやガラス玉、プールの底の光の綾や風に揺れるレースのカーテンなどなど。そういう"透明なもの"は私も割に好きなのだが、そういうものをとりたてて好きだとか何とか言ってる奴は信用できねえ〜〜〜と思う。「姿かたちがあやふやなものに惹かれます」じゃねんだよ。そういうこと言ってる奴らには、どこか"臭いものに蓋をしている"感がある気がするのだ。何か気に食わない。HSPって結局一体何なんだ、みたいな苛立ちに近いか。
儚くて壊れやすく、一瞬で忘れてしまうようなそんな抒情を愛でてる場合じゃないだろと思う。そういうものをそっと写しとって詩ですとか言ってる場合でもないと思う。繊細なものを守るためにはどうしたって強さが必要で、弱いだけのものは潰されて消されるか強い方に吸収されるか、つまりどちらにしろ潰されて消されてしまう。だから、どうしたら弱いものを守れる強さが持てるのか、潰されないために消されないためにどうやって闘うのか、私はそういうことの方を考えたい。考えるべきだと思う。弱さを守るための強さ。強くなれとは言いづらい世だけど、強くならなきゃ潰されて消されるんだよ。弱いままでいいよって言ってくれる人たちにその弱さは潰されて消されるのだ。やさしい世界は同質性の世界だ。輪郭が溶けていっしょになる。透明だ。あなたの弱さが見えなくされる前に、あなたはその繊細な心を守るために強くならなければならないのだと私は言いたい。付け焼き刃の雰囲気アンニュイで生き残っていけるほど甘くはないのだよ。強く儚い者たちはみな形はバラバラで、割れたガラスのように尖って、キラキラと発光している。私はそういう歪な光が見たい。

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