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本当は最悪ではないさいあくについて

他人から見たら最悪かもしれないが、私にとっては別に全然最悪じゃないんだけどな。それはもっと最悪なこといっぱいあったとかそういうこともまああるかもしんないけどそういうんではなくて、普通に割と良い思い出なんだが。という思い出を他人に最悪にさせてはいけないなと改めて思う。別に全然最悪ではなかった、何なら一つの救いであると言える向きもあり、だからといってそんなに呪われている感じもなく、軽くさいあく!と笑える程度の話であって、そういう私の本当は油断しているとすぐ他人の言葉によって塗りつぶされる。残念だが本人(たち)だけが分かっていればいいという真実は極めて脆い。だから他人の理解を得にくいことは不用意に喋りすぎない方がやっぱりよいんだと思う。何で黙ってなきゃいけないんだよという憤りも当然感じるのだが、どこでもかしこでも戦いまくるとやっぱり消耗しすぎてしまうので少なくとも戦う場所はある程度選ぶ必要がある。

他人以外にも戦わなければいけない相手はいる。有り体に言えばそれは自分ということになるが、本人(たち)だけが分かっていればいいという真実が極めて脆いのと同様に、過去は非常に感じやすい、今の解釈を通さず過去を思い出すことは難しいため、過去の意味というのは思っている以上にそのときの気分でフレキシブルに変わっていく。人は弱るとすぐ精神的視野狭窄に陥り極端になろうとする。安易に最高か最悪になろうとするのだ。けど、それは嘘だ。私は嘘が大嫌い。本当のことを守るためには強くならなければならないなと改めて思う。改めて思ったのでそれをここに認めておく。

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