見出し画像

おまえの成長なんて知らない

いま私がここにこういう形であるということは長年にわたる自己治癒の結果である面が多分にあるわけなのだけど、わかる、わかるよ、「おまえの成長なんて知らない」。昔どうだったとか、知らない。昔と比べたら格段によくなったとか、そうなのかもしれないけど知らない。ただ今ここにある事実として、他人より悪い。

もうこれ何度も書いているからほぼ恨み言だけど、まだ新たに現れてくるのでもう一度書く。定期的に「あなたはASDではない」と言ってくる非有識者がいるんだが、マジで一体何なんだ。今までもたくさんいたし、最近もいた、これからも出てくるだろう。もううんざりだ。正直飽き飽きしている。たしかに私はいわゆる典型的なASDとはかなり違う部分があるけど自己診断でASDだと言ってるわけじゃないし、かかった医者・臨床心理士も10人以上いるし、WAISももちろん受けているし、少なくとも私がASDかそうでないかはおまえに判断できることではない。

まず、私は自分がASDと診断されていることを過度に申し立てているとは思わない。ただ「分かりやすさ」のためにそのような言い方をする場合もあるというだけだ。ここで言う「分かりやすさ」とは、「サービス」である。私は、あなたが全く知らない未知なるものとして、あなたの安心安全を脅かす存在として、あなたの前に現れたわけではない、少なくともそのつもりはないという敵意の不在を示す「分かりやすさ」である。個性ではなく、よくあるパターンの一つでしかないように見せ、不安を取り除いてあげようとしているわけだ。これは「サービス」だろう。あと、「ASDだと診断されている」というのはただの客観的な事実である。そもそも私がASDであるかないかについて誰が興味ある? 私はないんだが。自分がASDであるかないかは今やどちらでもいいとしか言いようがない。誰かの都合で仲間に入れられたりハブられたりするだけのことで、ある意味いつものことだし、そのようなことには付き合いきれない。

しかし私も昔はかなり典型的なASD的特徴を示していたと思う。ASDだと診断されたときは安心したというよりは納得した。幼稚園児の時の私はキティちゃんのいちごのパンツしか絶対に履かなかったし、朝はミニトマトとコープのヨーグルト、もちろんメーカー違いはNG、それがないと一日は絶対に始まらない、髪型は二つ結び、高さの違いなどは当然許されない、髪を切るときはギャン泣き、帽子は被れなかった。面倒なのでこれ以上時系列を追って詳述したりはしないが、そこから20年強にわたる自己治癒、矯正、社会適応、何て言うのが適切か分からないが、それらを積み重ねてきての今なのだ。私は私を直してきた。元々こんな人間だったわけではない。あたかも元々こういう人間だったかのように、元々の性格や気質と大きな齟齬を来さないよう細かい調整を行なっているだけで、元々こうだったわけじゃ決してない。

しかしまあんなことは知ったこっちゃないよなという話。成長過程を見せる商売をやってるわけでもないし、ほぼ誰も見てねえし。「おまえの成長なんて知らない」んである。

しかし私は「あなたはASDではない」と言われ続ける。その発言の含意はいろいろ解釈できるし、発言者がどこまで意識しているかは不明だが実際いろいろな意味を含んでいると思う。まあでももう仕方ないなとも思う。私は特別なので。いつからか、私は特別だから仕方ないと思うようになってきた。でも最後に私が言いたいのはやはりこのこと。私はずっと、私を直してきたのである。少なくとも私はそれを知っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?