見出し画像

因果関係の捏造

林修の生授業を受けたことがある。ちょうど彼が「今でしょ」で一躍ときの人となった時期に私は大学受験生だった。

授業は何回か受けたはずだが、その中でも最も記憶に残っているのが、「因果関係の捏造」という言葉だ。現代文の論述の問題で、本文に書かれていない「因果関係」を捏造する人が多い、二つの物事が並べられているとき、そのようなことは書かれていないのにも拘らず自動的に原因と結果として処理することが癖になっている人がいる、日本語は「だから」という言い回しを因果関係以外にも用いることがあるのでその影響もあるのかもしれないが、本文に書かれていない因果関係を勝手に捏造するのは誤りなのでやめましょう、そういう話だったと思う。「因果関係の捏造」というワードがとてもキャッチーだったこともあって、この言葉は以来たびたび思い出す。それくらい因果関係を捏造する人は巷に溢れている。東大を受けようという人の中にすら多いのだから、普通の人の中にはもっと多いのは容易に想像がつくだろう。

ここにAという事実とBという事実があるとする。仮にAとBに以下の述語を代入してみよう。

A 彼女は女性である。
B 彼女は料理が得意である。

AかつBであるが、AならばBではない。
つまり彼女は女性であり、かつ料理が得意であるが、彼女は女性だから料理が得意なわけでも、女性はみんな料理が得意なわけでもない。そんなことは一言も言っていない。しかしこれがなぜか理解されない。こういうことが日常会話でもよくある。

基本的な論理構造が理解できていない人がとても多いように思う。数学Aの一番最初の章で扱われる話であり、論理学の話であり、国語力の問題とも言えるのかもしれない。人の話をちゃんと聞いてないし、テクストを正しく読めてない。上に挙げた例などではバイアスもかかってきてもう全然話にならない。

私はこんな話を飲み屋で酔っ払い相手にしたくはないのだ。

「男は〜」とか「女は〜」とかすぐ言い出す奴がいる。どこにでもいる。それだけで私としては最悪なのに、上記のような基本的な論理構造が悉く理解できていない。しかもその上酔っ払っている。最悪以外の何ものでもない。でそういう奴に限って「生物学的に〜」とかすぐ言い出す。生物学の知識なんて微塵もねえくせにうるせえ黙れ。酒場でとっくの昔に反証されている学説を揚々と唱えるな。死んでくれ。私はこの文章を特定の人間に向けて書いているわけではない。繰り返すがこんな奴は五万といるのだ。

最近の小説は説明しすぎである、という話があるが、上記のような状況だとそりゃそうなるだろうなと思う。歌詞などでもその傾向は見られるし、詩もまた例外ではない。しかしそこまで丁寧に一から十まで説明しても伝わっているかどうかというとかなり怪しいように思う。書いてあることを読まず、書いてないことを読む。エビデンスエビデンスなどというくせに目の前のテクストに対して、現象に対して、その態度は不誠実ではないか。私はこんな話を飲み屋で酔っ払い相手にしたくはないのだ。勘弁してほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?