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【MOTHER2批評①】ギーグの考察とMOTHER2で遂行された事

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MOTHER2のはじまりは、ネスの敵意の芽生え

 MOTHER2は近所に落ちた隕石を見に行く所から始まります。
この時フィールドに敵は一切出ません。

しかしその日の夜中に隣人であるポーキーのノックによって起こされ、自分勝手な理由で仲間になり再度隕石が落ちた地点へと一緒に行く時に初めて敵が出現するようになります。

ネスの妹曰く下品なノック

そしてこの時出てくる敵はヘビ・イヌ・カラスと言った、まぁ山道や田舎ならその辺に居てもおかしくないよなという動物達です。
が、名前がちょっと変わっています。
「おんしらずな犬」「にくいカラス」「まきへび」
まきへびはともかく、恩知らずや憎いというのは明らかにネスの主観による心象です。それもマイナスな心象ですね。

さっきまで敵が居なかった場所に突如敵が出現し、しかもそれは今までもそこに居たであろう動物達。
他にもストーリーを進めると普通に人の往来がある街中にも敵扱いの人間が出てきます。じゃあその街に住んでる人たちは日々戦いなの?恐らくそんな事はないと思います。
これはつまり、"ネスが今まで敵として認識していなかったものを敵として認識してしまった"状態なのでしょう。何か理由を見つけては自分の中で誰かを敵対視する心、即ち敵対心を知ってしまったと言ってもいいかもしれません。
ではこのほんの僅かな間に、一体何がネスのそんな心を呼び起こしてしまったのでしょう?


答えは簡単で、ポーキーですね。
礼儀知らずで下品で自分勝手。そんなポーキーに付き合わされた所からネスの世界に対する敵対心は生まれてしまいました。後に出てくるテキストでもポーキーは"最悪の隣人"と称されています。

しかしラスボスであるギーグを倒した後はどこにも敵が出現しません。
つまりはポーキーによって生まれてしまった世界を敵対視する心がギーグを倒した事によって霧散したのだと言えますね。
じゃあ何でギーグを倒すと敵対心が消えたの?
ただのちょっと超能力が使える少年がギーグを倒せた理由って?
今回はそんな視点からテーマを探っていきたいと思います。

ギーグって何者だったんだろう?

 MOTHER2のラスボスであるギーグはポーキーに「悪そのもの」と言わしめる程の存在ですが、人間なのか別の生物なのかそれ以外なのか、どこから来たのか、何故生まれてしまったのか、結局明確な正体が語られる事はありませんでした。
なのでまずはそんなギーグにスポットを当てて、これが如何なるものだったのかを言語化したいと思います。

過去・ネス・ポーキーという構図から見るラスボス戦

 物語最終盤、ギーグは過去から攻撃を仕掛けていたとの事で、ラスボス戦は現代では無く過去へ赴いて行われます。この時ネス達は過去に移動する事が出来ない自分達の肉体を捨てて魂のみをロボットに移植している事もここで記しておきましょう。

ネス達の魂を移植したロボット

そして「かこのさいていこく」最深部にてラスボス戦として以下の画像のように「ギーグ」「ポーキー」と戦うわけですが、このラスボス戦の状態は言い換えると
「過去で」ネス(の顔を持ったギーグ)」と「ポーキー」が「肩を並べている」とも言えますね。

ラスボス戦のはじまり

この状態は、前述した物語の最初で"ポーキーによってネスが世界に敵対心を抱いてしまった瞬間"と全く同じ構図に感じられます。物語の進行から見ればあちらも過去で、ネスが居て、ポーキーと肩を並べました(他にも物語上でネスとポーキーが同じ場所に居るシーンはありますが、仲間として肩を並べているシーンはあの瞬間だけです)
「かこのさいていこく」というエリアの名称についても、「過去の最底国」という変換であれば「遡れる過去で最も底の部分」という意味合いになり、正にMOTHER2において最も過去だと言えるシーン、つまり物語冒頭をそのまま言い表してるとも解釈可能です。

さて、この解釈で“過去のネス“という役割を背負っているギーグは「悪そのもの」とされています。
これまでの要素を整理すると、このラスボス戦は【物語冒頭のあの瞬間、夜中にも関わらずポーキーの下品なノックで叩き起こされたあの瞬間にネスは"悪そのものとも言える心"を抱いてしまった】事を示唆していると捉えられるのではないでしょうか。
そしてネス本人は魂だけで今このラスボス戦に臨んでいます。つまりこれはネスが心で物語冒頭のあの瞬間と向き合っている構図だとも言えます。
ギーグを倒すと敵が出現しなくなったのは、ギーグ戦を通じて自分の悪しき心を制する手段を見出したので誰かを憎んだり恨んだりするような敵対心も消え失せ、冒険の中で敵だと認識していた相手もネスの中で敵として扱わなくなったからでしょう。
つまりギーグの役割とは【ネスの悪しき心を自ら体現し、この冒険を通じて確かにそれを乗り越えたんだと示す事】だったのではないかと思います。


ギーグはいつどこで生まれたのか?

 鋭い方は前の項を読んでいる最中に疑問に思ったかもしれません。
「ギーグ戦が物語冒頭のあの瞬間を再現しているのだとして、ギーグ自身がその時生まれたネスの悪しき心を体現しているなら、逆説的に言うとポーキーがギーグを生んだって事にならないか?」と。
その通りです。ポーキーがギーグを生んでしまいました。
確かにあの時のポーキーの行為は非常識で無礼なものではありましたが、とはいえ少なくとも一般的には飛び抜けて怒りや恨み、憎しみを買うような行為ではありません。
それでもネスの中に悪しき心が生まれてしまったのは、恐らく両親に本当にたくさんの愛情を注がれて育ってきたからでしょう。
赤ん坊だった頃は勿論ですが、今でも家に帰ればネスの好物を作って応援してくれるママ、ネスの身を案じて定期的に電話をくれたり仕事が忙しい中でも誕生日だけは帰ってきてくれるパパと、冒険を通してもネスが大いに愛されている事が伝わってきます。というかネスと共に世界を旅してきて、彼以上に"愛されて来たんだな"と感じる人物なんて居なかったようにすら思います。そういう意味では"世界一愛された少年"と言ってみてもいいでしょう。
恐らく世界一愛された少年であるネスは、そもそも悪意や害意を含んだ気持ちというのをこれまでぶつけられた事がほとんど無かったのではないでしょうか。友達もイイヤツばかりですしね。
しかしポーキーは違います。ただ夜中にネスを自分の都合で動かそうとしただけでなく、「断るならお前の心を張り裂くぞ」という宣言すらしてきます。

結果的に"心が張り裂けそうな事"は言われませんが明確な悪意を感じられますね。
隕石が落ちたという非日常事態からか、これより前で行ったポーキーとのやり取りからか、寝ていた所を起こされたストレスからか、ともかくこれまで悪意にあまり触れてこなかったネスの"悪意を許容する器"がここで一定以上に達して溢れてしまった事でギーグというネスの中の世界への敵対心を生んでしまったのでしょう。

しかしこれで良いのではないかと思います。というか、誰かに理不尽な悪意を振り撒かれたり謂れの無い誹りを受けたりなんて事は生きていれば誰でもある事で、ネスが一生この気持ちを知らずに生きてく事なんて元々不可能なのです。
たまたまその引き金が隣に住んでいたポーキーだったというだけでいつかどこかでギーグは生まれてしまっていたでしょう。
そして1人の少年にこうしてギーグが生まれたように、この文章を書いている私にとってのギーグもいつか生まれているはずだし、この文章を読んでいるあなたもきっとそう。
唯一ネスと僕達が違うのは、ネスはあの世界で最も愛されていた少年が故にその心が落とす影もより濃いものだったという点かなと思います。
では自分の中に生まれてしまった“ギーグ"を如何にして乗り越えようか?
とある少年の場合は……というのを次の記事でお話していきましょう。

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