幼少期への憧憬

 小学校に入る前の本当に小さかった頃、4,5歳の頃を思い出し、「もうあの頃には戻れないのだな」と切なくなる。


 得てして思い出は美化されるものである。良いことばかりではなかった筈だ。
 おしゃべりな子供であったので、話し過ぎてよく母親にうざったがられた覚えがある。子供は手先が不器用であるので、不本意に食べ物を落として叱られた記憶もある。今よりもずっと不自由で狭い世界を生きていたが、だからこそ幸せであったと思う。


 実際、経済的には幼少期のほうが恵まれていた。小学校に上がる頃父親がリストラされ、社宅から古いアパートに引っ越し、生活はかなり苦しくなった。思えば両親の仲が悪くなった(というより母の父への当たりが強くなった)り、母の私への態度がそっけなくなったりしたのはこの辺りからであった気がする。経済的な余裕は精神的な余裕に直結する。


 幼少期を回顧するとき、思い出すのは保育園から近所のスーパーまでの小道を母親と手を繋いで歩く春である。菜の花のような黄色の背の高い花が無造作に咲いている空き地を歩いている記憶だが、第三者視点で母親と幼い私を見ているので、もしかすると何度も思い出すうちに改変された記憶かもしれない。そんな親子二人を、自分はいつも少し離れた場所から羨ましそうに眺めている。


 祖父母の老いも、切なさを増長させている。祖父はよく冗談を言い、知らない人とも躊躇いなく話せる明るい人であった。しかし今は呆けてきて、脳の血流を良くする薬を飲んでからは幾らか元気になったが、少し前は一日中寝ていて会話にもほとんど参加しなくなった。祖母は変わらず社交的で気遣いのできる人であるが、足が悪くなった。私が中学生くらいの頃には既に歩く速度が落ちていたが、去年あたり転んで骨折をしてからより動かしづらくなった。立ち上がるとき足を少しずつ少しずつ動かしてやりにくそうにしている姿を見ていると、少し辛くなる。


 変化は、時の流れは切ない。私はもう無邪気に大人に甘える子供には戻れない。周りの「大人」はどんどん老いていく。しかし、自分より若い者の存在はその中の唯一の希望である。いとこの子供は5歳と2歳の可愛い盛りである。彼らの生命力と未熟さに直面するたびに、私にもそれらをお裾分けしてもらえたような、「生きていることって素敵だなあ、自分もまだまだ頑張らなきゃなあ」という気持ちになる。


過去に書いてオチの付け方が分からなくなって&飽きて放置していた記事。改めて見返すと暗くて笑う。せっかく書いたので公開しておく。

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