191122 福田郁次郎
アジアチャンピオンズリーグ(ACL)決勝2nd leg。埼玉スタジアムでのホームゲーム、リードを奪ったのは浦和レッズ。アディショナルタイム、センターサークル近くで得たセットプレーで、FWファブリシオが何故か真横の位置迄上がって来たGK西川周作にボールを出し、直後に主審がゲーム終了のホイッスルを鳴らす。浦和、2年ぶり史上最多3回目のACL制覇。その瞬間、テレビの前で立ち上がり、両手を掲げてガッツポーズをし乍らふと気づく。僕、ACL決勝のチケットって買ったんじゃなかったっけ? 何でテレビで観てるんだ? 夜キックオフの中継開始に間に合うように、外出先から大急ぎで帰宅、そのままテレビに齧り付く経験はよくあるのですが、時間の余裕ができるハーフタイムに気づいてよい筈。はて? チケットは2枚取ってあり、サポーター仲間と行く予定だったよね? 慌てて彼に連絡を取ろうとTwitterを開くが、ダイレクトメッセージ(DM)を送るためのメニューがありません。何がいったいどうなっているのだ?
…というところで目が覚めた。すべては夢のお話です。改めてiPhoneを手に取り、Twitterを起動する。DMを送るメニューは確実に存在しました。タイムラインを流れてゆく情報を目にすると、福田郁次郎さんが亡くなっただの、壇蜜さんが漫画家と結婚しただの。いったいどこまでが夢でどこからが夢なんだ? いっそすべてが夢ならその方がずっといいのにね。
さだまさしがソロデビューした当時のバックバンド、サーカスに途中からベーシストとして参加し、ふりーばるーん、亀山社中と名称が変わっても一貫してその音楽を支え続けたバンドリーダー、福田郁次郎さん。デビュー20周年を機に、さださんが多様な音楽性追求のためメンバーをツアー毎に変え、亀山社中というバンド形態は、1994年の「おもひで泥棒」ツアーを最後になくなってしまいました。ソロデビュー第1回からすべてのコンサートに参加し、マリンバ・パーカッションという他に例を見ないさだまさしサウンドの大きな特徴だった宅間久善さんと共に、1997年の「夢唄」ツアーに復帰したジローさんには、満場の拍手が暫く鳴り止むことはありませんでした。
最も遅くに加入したピアニストの石川清澄さんが既に鬼籍に入ってしまいましたが、その前にピアノを担当していた信田かずおさんを迎え、ドラムスの井上広基さん、ギターの立山健彦さん、坂元昭二さんという当時のメンバーが年に一度、築地のライブハウスBlue Moodに集結するのを楽しみにしていました。昨年、今年と開催はなかったのですが、デビュー30周年の時のように、いつかまた同窓会的にさださんと亀山社中のコンサートが聴けるのではないか、という思いもありました。同窓会では当時の学級委員が今でもまとめ役を担うように、ジローさんもやはりバンドリーダーとしてライブの中心となっていました。
JIRAUD BASSというブランドを設立、オリジナルベースの製作にも取り組んでいました。訃報を耳にしてからSNSで検索をかけてみましたが、「ジローさんにオリジナルモデルを作ってもらった」「今の自分の音があるのはジローさんのお陰」という書き込みをそこかしこで拝見しました。そこ迄本格的ではないにしても、少し囓ってみただけでも、音楽の楽しみ方は随分と深まります。僕自身はアコースティックギターに興味を持ち、ベースを演奏する機会は大学時代のサークル活動くらいしかなかったのですが、ベース音がそのままギターのコード名(CやF、Gなど)になるなど、文字通り根底(ベース)から音楽を支える役割の大きさを実感しています。こうして飛び散った分子が受け継がれていくように、人の生きた証は確かに人の中に残っていくのでしょう。
「いったいどこまでが夢でどこからが夢なんだ?」
冒頭の一文、やっぱり相当動揺していたようです。
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