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🔴マイノリティがあることこそがマジョリティ

数年前より、多様性について考える機会が増えてきており、もう考えたことが無い方はいないのではないかと思います。

「性自認」や「性的指向」は人間が本来持っている多様性の一つですが、現代社会においては依然として周囲の無関心や偏見、差別などがまだまだ問題となっています。

これは当事者自身が解決していかないといけない問題なのでしょうか。

ちなみに、僕は性自認は「男性」であり、性的指向は「女性」です。もしかすると、詳しく自己分析をすると、そうではないのかもしれませんが、「現段階では」そのようです。そんな私が多様な「性」について話しても誰も聞いてはくれないかもしれません。

「性自認が男性で、性的指向が女性」これが「普通」であり、「マジョリティ」なのかもしれません。でもその「普通」とか「マジョリティ」って何でしょうか。

これらを「普通」というのには何か根拠があるのでしょうか。

おそらく、今まで自分が生きてきた過程、環境、もっと言うと、人類が生きてきた歴史の中で「勝手に」進んできた普通な固定された先入観的「価値観」だと思います。

かの偉人達も、今で言うと、「普通」では無かった方たちは少なくないと聞きます。

こんなことを言う私自身にも、今のところ公にはしていない、あまり声を大にして言えないような「マイノリティ」な自認や指向はあります。

たまたま、自分だけ分かっていれば良い「価値観」なので、誰かに認めてもらわなくても良いことだっただけなのかもしれません。

このように性自認や性的指向などの「多様な性」も、「価値観」の一つだと考えると、人類のすべての人が「当事者」に該当するのではないかと思います。{※様々なことで悩んでいらっしゃるという意味での当事者の方たちと同じ立場、同じ目線に立っている、気持ちが分かるとは思ってはいません。}

価値観は、人それぞれに必ず存在していることを尊重し、誰もが自分らしく生き生きと活躍することで一人ひとりが輝く社会になっていくと信じています。

例えば、介護や医療の場面で考えると、病院や施設の利用者さんだけでなく、さまざまな職種・年代の職員がいます。これだけ多くの人がいると、「価値観」は十人十色で全く異なります。チーム医療でのコミュニケーションや職場内の人間関係、さらには利用者さんとのラポール形成のためには、自分の「価値観」とは異なる「価値観」を認めようとする姿勢が重要となります。

世間では、自分事のように考える重要性が謳われていたりしますが、どれだけ「自我」を広げて考えることができるかではないでしょうか。

他人は変わらない。確かにそうですが、自分が地球で豊かに暮らしていくためには、そうは言ってられないフェーズに差し掛かっているのではないでしょうか。

他人すら自分として考え、より良い社会をみんなで作っていくことはできないでしょうか。

そのためには必要なものこそ、ソリューションではなく、「姿勢」だと思います。

誰かが普通とは違う言動をしたときに、「おかしい」「間違っている」というのはとても簡単です。でも、それにはその人なりの「背景」が必ずあります。

その言動に至るまでの「見えない過程」に、多種多様な価値観が含まれます。言動自体は価値観ではなく、その過程に価値観があるのです。

また、その言動がおかしいと思ってしまっている自分の価値観の方が本当に正しいのでしょうか。正解不正解なんてありませんが、自分が間違っている可能性も十分にあります。

他人ではなく、自分を疑うことも必要なのではないでしょうか。

この見えない過程を知ろうとする「姿勢」です。これを私は大切にしたいと思っています。

そして、この「姿勢」はいますぐにでもできることだと思います。

これを機に、多様性について行動してみましょう。

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