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正当化

 会話を行う中で沢山の人生論とか価値観を聞いてきた。武勇伝を語る人がいれば、反面教師のような説き方をする人もいる。こういった話はその人の大事にしていることや、その人がどんな性格なのかを教えてくれる。完全にその人のすべてを知ることはできないが、こういった話をするということは親密性があるからと言っても過言ではない。

 それぞれの人生論や価値観に共通することは何だろうと考えてみる。1つ言えることは、『自分を正当化』している節があると考える。あくまで主観の話しに過ぎないのだが、結局ハッピーエンドで終わってしまう物語ばかりで味気ない。

 『山あり谷ありで今は何とか上手くいっている』という構文に従って物語は展開する。僕よりも歳が上の人はこの構文+アドバイスがスタンダードである。「俺みたいになるなよ」と言われることもあるが自分を下げておいて結局はどこか美学のような響きでアドバイスに帰着する。

 みんな成功者ならばどんなに素晴らしい世界なのだろうか。それか『自分は正しい』という洗脳をどこかから受けているのだろうか。偉そうに話す僕自身もこの洗脳を受けている。失敗をしても時間が経てば美学に変わり、成功はそのまま語り継がれることになる。

 マイナスのない世界は主観の中だけであって、客観的に見ればそんなことはない。自分を良く見せるように過去を改竄してしまっている気がする。でも、それがダメなことだとは思わない。大事なことはそれに気付いているかどうかだと考える

 武勇伝や価値観を話す時、「今、自分を良く見せようとしているな」とか「自分の良くない部分を隠している」という事実に目を向けることが大切だと思う。それを意識して話すことで自制しやすくなる。

 自分を良く見せたいという欲求は誰にでもあると思う。その1つの例として『自分を正当化する』ということがある。この欲求を満たすために失敗をあたかも成功みたいにしてしまう傾向があることを念頭に置く。そうすることで自分と相手の解釈のギャップを少なくすることができる。

 こんな堅苦しいことを言っておきながら、僕は誇張した武勇伝を語る。

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