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どうして私がイスラエル🇮🇱に!?

ふと、なぜイスラエル🇮🇱へ留学することになったのかを書き留めていなかったなぁと思った。このタイミングだからこそ、イスラエル🇮🇱へ留学することになった経緯などを記しておく。


0.イスラエル🇮🇱をそもそもどのくらい知っていたか

自分はキリスト教系の中高一貫にいたので、新約聖書を中心に旧約聖書も学んだし、中3の時には自発的にコーランも読んだ。そのためおそらく一般的な人よりも三大宗教の聖地があるイスラエル🇮🇱に関心はあったと思う。ちなみに自分はクリスチャンではない。結婚式は神道スタイルだし、誰かが亡くなれば仏教スタイルで、クリスマスになればお祝いもする。宗教行事に関して、典型的な日本スタイルを貫いている。
また、世界史が好きで、大学受験は世界史選択だった。そして、世界遺産検定もマイスター取得かつ認定講師にもなり、常に世界に目を向けていた。

1.イスラエル🇮🇱へ行くきっかけ

修士課程に進学した年に、自分の関心分野である細胞融合に関する論文が怒涛のパブリッシュとなった。🇺🇸のグループ、🇫🇷のグループ、そして🇮🇱のグループ(お!イスラエル🇮🇱!?と一気に惹かれた。ちなみに研究内容的にIF関係なく魅了された)。なんだか凄いことになったなぁと思った。ちょうどその頃に研究室のビッグボスに国際会議に参加してみます?(僕は別学会で参加しませんが…)と言われ、二つ返事で参加する旨を伝え、参加準備を進めていたら、プログラムに3グループが参加することを知った。
いざ学会に参加し、当時は怖いもの知らずだったので、初日から細胞融合研究の3グループと接触した💮。🇮🇱のグループのボスに挨拶を済ませ、周りの様子を見て気づいたが、ボスは細胞融合研究の大御所だった。震えた。単にとても気さくでフレンドリーな人じゃなかった🙄

2.共同研究

初国際学会で、所属研究室のボス不在の中、ボロボロイングリッシュだが、「我々は人と人、心で通じ合える」という謎の自信で議論を重ねた結果、それが功を奏して共同研究する運びとなった。
修士課程〜博士課程の間のどこかで🇮🇱へ勉強しに行きたかったが、周りの人の「危険だから」という圧力に負けて渡航できなかった(COVID-19もあったし…)。その間、彼らとはメールでのやりとりや隔年で参加する国際学会での進捗報告を主として共同研究を続けた。

3.いざ行かん!イスラエル🇮🇱へ!

共同研究を論文という形にすることができ、そのおかげで無事に学位を取得できた。そして、その年に本当にラッキーなことに、ビッグボスの雇用で、イスラエル🇮🇱へ行くチャンスが訪れた。🇮🇱の物価が高いこともあり、現在の雇用形態では常に赤字だが(本当に!)、素晴らしい機会を与えて頂き、ボスには感謝している。
そして、2024年4月からはフェローシップで引き続きイスラエル🇮🇱にいる予定。

こうして、イスラエル🇮🇱へ渡った。

4.どうして私がイスラエル🇮🇱に!?

正直言って、自分は英語が苦手なので、学部生の時は留学のことなんて1ミリも考えていなかった。しかし、初国際学会で🇮🇱グループと出会い、ユニークな研究を展開しているTechnionへ行きたい強く思うようになった。
また、自分のモットーは「人生ネタ」なので、王道の留学先にはあまり興味がなかった。周りからは🇺🇸、🇬🇧、🇩🇪、🇨🇭、🇨🇳あたりを勧められたけど、研究内容的にも国のバックグラウンド的にも魅力は感じなかった。(自分の謎モットーのせいで、家族を振り回し、金銭面で生活苦を与えているのは大変申し訳ないと思っている)
振り返ってみると、イスラエル🇮🇱へ行きたい理由が、「なんだかイスラエル🇮🇱に惹かれる」という浅はかな感じではあるが、実際に行ってみて、大正解であったのは間違いない。自信を持って言える。イスラエル🇮🇱の人々、文化・伝統、歴史、気候、大学、ラボメンバー、学内の共同研究者など…全てが自分にとってプラスである。
イスラエル🇮🇱に住み、研究に従事したことを誇りとし、これからも研究に邁進していきたい。

5.最後に

イスラエル🇮🇱めちゃくちゃ良いところだから、みんなおいでよ!

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