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『DV(オートエスノグラフィックな何か24)』

こちらに逃げてくる前に、NYの医師の日本の出身大学の医局のオススメの医師、に会いに行ったら、最初に「あなたのパートナー大丈夫?」と、つまりDVにあったりしていないのかと聞かれて、そんなこと聞かれたことなかったわと思い、「そんなこと全然ないですよ」と答えたと思う。

しかし、遭ってたんですよね。自覚してなかった。これがもはや、典型的な被害者である。

しんどいから、まだ色々書けないけど、今に書くだろう。あるいは、少しずつ書いていかないと、しんどすぎて書けない。

例えば、通常、嫌なこと、酷いことが起きた場合は、家族や友人に愚痴を言う、ということを皆んなしているようだ。

私は何を言っても否定する相手にしか、言うことが出来なかった。しかし、言っても全て否定されていたので、もはや嫌なことや酷いことが起きたり、誰かにされても、人に漏らす力も無くしてしまって、長い時間が経っている。

だから、何でそんな酷い目に遭ってたのに我慢してたんだと言われる、ということが起き続けていた。ついこの間まで。しかし、むしろ、それは、ある種の必然だった。いくら訴えても、酷くない、私のせいだと、言い聞かされてたら、何がどういうことなのか、わからなくなってしまった。余りに錯乱されてて困り切っていた。

とにかくは、どういうことか分かり始めたから、自分のことを責めてしまうのは何とかやめておいて、前を見たい。それなのに、そう思っても、どうしても、最終的には、自分で自分のことを責めてしまう。どうしてくれるんだって思う。でも、やっぱり、逃げなかった私のせいだからしょうがない。そう思うのを、まず辞めないと。

その人は、DV加害者のプログラムを受けている。それなのに、自分の経験をDVだと受け止めたり、それで人生が狂ってると自覚して受け止めるのは、かなりキツイ。

辛すぎて、ずっと身体がビシビシで、ご飯も食べられなくなってるし、お腹も痛い。

こういう、今まで、ずっとしてきた経験や、今もし続けている経験を、DVと呼ぶはず、そうでないなら何なのか、そんな風に、やっと思えるようになった。



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