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『渡辺宏樹「差別を作り出す認識の枠組みをめぐって」読書メモ』

https://artforall-jp.org/article/%e6%b8%a1%e9%83%a8%e5%ae%8f%e6%a8%b9/%e5%b7%ae%e5%88%a5%e3%82%92%e4%bd%9c%e3%82%8a%e5%87%ba%e3%81%99%e8%aa%8d%e8%ad%98%e3%81%ae%e6%9e%a0%e7%b5%84%e3%81%bf%e3%82%92%e3%82%81%e3%81%90%e3%81%a3%e3%81%a6/

トランジション中で、過敏になっており、また怒りっぽくなっております。ごめんなさい。もう少し丁寧に描き直します。Under Construction

は、分かりやすい説明をしようと工夫されている文章だと理解して、その観点から問題だと思ったことのメモである。

1
「本質主義と構築主義」という対比は、それらの用語の日常的な語感から、本来の意味とは異なるものとして想像されて、ミスリーディングされやすいので、使わなければいいと思う。全体的に分かりやすい説明をしないとと頑張るより、ずっと簡単に、ストンと落ちやすいものが書けると思う。それなのに、それらの用語にこだわるのこそ、研究者のあんまり宜しくない何か、だと思う。

2
「ある国籍の人間がみな共通の特性を持っているという考えは、現実には存在しないフィクションである」は、これまたミスリーディングである。そういう考えが存在することは事実であるから。そういう考えとは、どういうものかが探究の対象になる訳で、その探究を「フィクション」ということばを用いてしまったばかりに、反感でやりにくくするのであるから、語彙の選択として、避けた方が良い、と思う。

3
「国家や国籍は人為的な制度なので、そこに属する人間全てになんらかの共通する本質を想定することはできません。」

ここも、「人為的なもの」vs「本質」という対比を用いるのをやめたらいいと思う。ネーチャーナーチャー論争という形式を取ることが不毛であるのと同じこと、である。

4
「3 生物学的性差セックスは社会構築的か?」以下については、既に繰り返し説明してきたことと、重なるため、メモ書きもないが、

ジェンダーアイデンティティは認識として取り扱うのには問題がある。

ことを再度書いておく。

5
しかし、それでも強調しておきたいのは、セメンヤへの言及の問題点である。彼女がインターセックスの活動家であったとしても、彼女の体内のホルモンバランスや、身体の状況は非常に個人的なものであるから、分かりやすい説明のために、簡単に使用するのは、極めて問題のある行為だと思うし、私はこういうものを読むと嫌悪感を覚える。

「このことをどう考えるかですが、セメンヤ選手は『男性になり損なった女性』と考えていいのでしょうか? 」

などと言われる方の気持ちがどんなものか、想像したりしないのだろうか? 「構築されたもの」だし「フィクション」だからなどと言うのなら、研究者としての掟破りをして、そう言われて傷つく気持ちは、「本当の気持ち」だと敢えて記しておきたい。

それ以降は、メモ書きも放棄する。

最後に苦言を呈するなら、
「なぜこんな面倒くさい話をするのでしょうか?それは、人間がこうした複雑さに耐えることが難しい」から、と書いてあるのに、本質か構築かに二元化して単純化している文章、だと思う。


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