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批判的読書『「心の性」や「身体の性」をやめるべき理由」』

この文章は、『「心の性」や「身体の性」をやめるべき理由』という以下の文章の批判的メモである。

https://yutorispace.hatenablog.com/entry/2024/03/20/002301


「心の性」「体の性」という概念を使用して何かを説明するというのは、人びとの実践の一つである。そのため私が研究者としてするべきと思うのは、その実践がどのようなものかをまずは記述すること、であり、もしアクティビストスカラーとして付け加えるのであるなら、その記述から見えてくる問題の指摘になるだろう。

「心の性」「体の性」という概念を用いる人びとと同様に、私たちあるいは誰かの経験している「現実」に、それらの概念を当てはめようとしても当てはまらない、と言うのでは、問題がある。なぜなら、分析対象である実践を行う人たちと、同じ次元で同じことををすることになってしまうからである。

何かを「心の性」と呼ぶ、というのと、何かに対して「心の性」を当てはめる(あるいは、当てはまらない、とか、ズレている、と言う)というのは、同じことである。

そうではなく、人びとが、何をどういうふうに「心の性」と呼んでいるのかを記述し、それがどのように、それを当てはめて説明される人びとの経験を捻じ曲げるか、という順番でやらないと、筋が通らない。私はそのように考える。


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