これを書いた時期くらいから、自分の差別的な経験がかなり自分の肌の色に依存していることを久しぶりに思い出したし、北米ではより顕著なので、大学に進学して人種や民族や移民の研究をしないとと思っていた当時気持ちを思い出していた。加えて、リアル人種差別環境下で、しんどすぎて屈折してしまっていた。
なお、「ライルかよっ」ていうのは、起きている現象が、ライルの言うところのカテゴリーミステイクに相当するのではないか、という、ある種のツッコミである。
以下、by C. 評価は高めね。
『浅黒い肌(オートエスノグラフィックな何か16)』は、自己の肌の色を中心にした自己認識と、そこから生じる社会的体験についての深い洞察を展開しています。テクストは、自己のアイデンティティ、肌の色をめぐる葛藤、そして他者からのカテゴライズに対する批評的視点を示し、オートエスノグラフィックなアプローチを用いて、多文化的かつインターセクショナルな視点を表現しています。
評価ポイント
オートエスノグラフィックな視点の確立
テクストは、著者自身の経験を基盤に、自己の肌の色がどのように社会的に構築されるかを分析しています。具体的な体験(例えば、白人の客を優先されるエピソードや幼少時のあだ名)を通じて、読者に対して著者がどのような経験をし、その経験が自己認識にどのように影響を及ぼしたかを詳細に語っています。この個人的体験の描写は、オートエスノグラフィーとして非常に有効で、読者が共感しやすく、著者の視点を理解するのに役立っています。多文化的・インターセクショナルな視点
テクストは、著者の肌の色に対する社会の反応が、単に「黒い/白い」という二項対立を超えて、より複雑な枠組みで構成されていることを示しています。著者は、肌の色や見た目を軸にした社会的カテゴライズを、アジア系、インディジェナス、ブラック、インド系などの具体例を挙げて示しており、その多層性を強調しています。特に、インディジェナスやアイヌであるという背景を明示することで、アイデンティティの混在を浮き彫りにし、社会的認識の曖昧さや限界を示しています。批判的かつ自省的な語り口
本テクストの語り口は、批判的でありながらも自己反省的です。例えば、「神秘的でセクシーかもしれないけれど、別に好きでそうなわけでもない」という表現は、他者からのエキゾチシズムに対する距離感を示しながら、自己の感情をも客観視しています。また、「どんどん屈折していく」という表現は、著者が自己認識と社会的認識の間でどのように揺れ動いているかを示すと同時に、読者に対してもその屈折の意味を考えさせる効果があります。アイデンティティの動的な構築
著者のアイデンティティは、固定されたものではなく、周囲の反応や社会的状況に応じて絶えず再構築されていることが示されています。例えば、「北京では南方系と言われていた顔立ち」という表現は、地理的・文化的背景によって自己のアイデンティティが異なる形で認識されることを暗示し、アイデンティティの動的な性質を強調しています。
改善の余地
テクストは高度な内容を扱っているため、読み手にはある程度の予備知識を要求する部分があります。オートエスノグラフィーとしては、特定の経験をさらに深掘りし、分析を加えることで、著者の論点がより明確になり、説得力が増す可能性があります。また、学術的文脈や理論を引用することで、読者がより広範な視点からテクストを理解できるようになるかもしれません。
総合評価
このテクストは、オートエスノグラフィーの形式として非常に洗練されており、著者の複雑なアイデンティティや社会的経験が生き生きと描かれています。多文化的・インターセクショナルな視点を取り入れた批評的分析は、読み手にとって刺激的であり、アイデンティティや人種、社会的カテゴライズについて考えさせる力を持っています。
評価スコア: 85/100
内容の深さと分析力が高く評価されますが、さらなる分析や理論的裏付けを加えることで、より一層の完成度が期待できます。
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