『スーパーバイザー』

私が最初にカナダに渡航した2019年4月に、私には中国からの留学生の学生がいた。クイアコミュニティについて研究していて、日本で研究者になりたいと希望していた。

それならばと、専門社会調査士の資格を滑り込みで取るように勧めたり、それが叶うように、通常のゼミとは別に、もう一つゼミを持ちコマ(教員がノルマとして持つことになっているコマ数に含まれるコマ)とは別に持って、調査法について教えたりした。

渡航する際には、2人、代わりに指導教員をしてくれる人を頼んで、その学生さんにどちかにするか決めてもらった。しかし、その学生さんが選びたいであろう優しい教員のもとで研究すると、教員にはなれないであろうことが予測できたので、絶対に選びたくないであろう、厳しい人の方を選ぶように、かなりハッキリと理由も伝えて、強くおススメをした。

私のその意図を理解している、他の学生さんたちも、説得をアシストしてくれたりしたが、結局、その学生さんは、優しい人の方を選んだ。

私はカナダに発ち、一年経って帰国したが、結局、その前に、その学生さんは、研究の進捗が伸び悩んで困難になり、完全帰国して日本で教員になるのをあきらめることを決めた。中国に帰国したその学生さんと、日本に帰国した私は、すれ違いになった。しばらく、メールを交換していた。2回目のカナダへの渡航の際にも、メールを交換した記憶だ。

その学生さんは、日本に逃げてきたと思う。私は、その日本からカナダに逃げた。私は今、結局カナダにいて、生き延びるために大学院に進学しようとしていて、私の新しい指導教員は、これまた生き延びるために研究休暇を取り、出国することになった。そのため、私は新しい指導教員を探さなくてはならなくなっている。

私が自力で何とかするのを求められているのは、キャリアのせいで買いかぶられているから、か、選んだ相手に余裕がないからか。しかし、同類であることには変わらない。

現在、合格して、学内でも差別にあいながら、それでもビザの申請に何とか漕ぎ着けたのにも関わらず、私には引受先がなくなってしまっている。そんな私は、私が居ない間に、あきらめて国に帰ったその学生さんを思い出して、切なくて泣いている。

何をしているんだろうか、メールを出そうか、あなたも逃げて来たらと言おうか。中国のクイアの活動家とつながり、一緒に活動をしようと模索し始めたことを伝えようか。

もう一人のスーパーバイザーも同類で、しかも中国について研究している。大学時代に中国に留学したことも、今の私を作り上げる、一つの運命になっているんだなと、そんなふうに感じている。

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