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『今だに苦しんでいる研究チームの話2』

私はカナダに最初に来た2019年の春から、ずっとトヨタ財団の研究チームのことで、苦しみ続け、体調を崩して、そうして、現在もそうであること、それ自体で、また泣いている。

私は、それを目撃して、私を手助けしてくれようとはしてくれていたと思うけれど、誰にも相談を持ちかけて救ってくれなかったアシスタントさんに、裏切られたように思っている。仕事の遂行に問題があったのに、何も言えなかったのも辛かったけれど、私なら、誰かに相談して、あるいは、本人たちに直接訴えて、何とかしようとしただろうと、思っているから。

もちろん、これも、私がアカハラしたと言っている人と同じで、私に出来ることは、みんなに可能ではないので、期待する方が間違っていると、言われるのだろう。

私は人の将来的な能力への期待も、そもそも高い。そうでなければ、そもそも研究チームに若手を入れて、もろもろ任せたりもできない。

私は、任せてもらって、自分の裁量で色々やることを好み、いちいち指示に従うのは面倒。でも、全てを指示して欲しい人もいるし、そうしないとほったらかされていると思う人もいる。

博論も指導といえば、タイムキーピングや、本当にヤバい時に、それについて言ってもらえるだろうと期待すること、みたいな世代や、それで大丈夫だった人たちと、そうでない人たちとの違いもあると思う。

同じ教室に、理解の早い学生たちと、難しい学生たちが、二つに分かれているクラスが一番難しいとか、全員が満足する授業はあり得ないとか、そういうのと、同種の問題なのかもしれない。

日本の大学のことを片付けようとしたら、それ自体辛くて調子を崩したけれど、芋づる式に関連することがフラッシュバックして、この状態になっている。

先週からか、身体がバキバキで、自分でストレッチするのが難しく、また日々マッサージに通っている。これぞトラウマ反応。

放っておいたら、別に元気だったのに。律儀すぎる。でも、そうじゃなかったら、そもそもバーンアウトしなかったし、泣きべそ。

SNSには、色んなことを書いている人がいて、こういう愚痴を書くのもありなんだな、私も書いてみよう、やっと、そう、思えるようになった。

私はSNSに書いたことがデジタルタトゥーになることを組み込んだ研究計画を既に発表しており、こういうことも、デジタルタトゥーだとわかってやっている。

読んで、かかわらないようにしようと思った人とは、私も、かかわるのはごめんだ、という前提で、もちろん、敢えて書いている。

ということで、せっかくなので、もう少し。

出版された本のメンバーでもなく、既に書いたのではないのは2人。本のメンバーで、書かれた人にクレイムされておらず、チームにとどまった人は、よく分からないまま、巻き込まれたのかなと思っている。

これまで、私が何も書いていない2人のうち、1人は、インタビューがどういうもので、それを行う際の倫理などについて、よく分かっていなかったと思う。自分も大変なので、余裕もなかったでしょう。私は、ただ、味方についてもらえないことでショックを受けてはいた。おんなじようなタイプなのは、重々わかっていたから。

もう1人には、ズームで会って相談しても、誰もかれもに愛想を尽かされないようにしろと言われ、チームがスタートする前の、彼のイベントにも参加出来なかったので、私がひたすら迷惑をかけるだけと思ったのもしれないと、私は思っていた。しかし、ともかく、ミーティングでは、いつでも、私は調査では苦労していないので、他の人のしている苦労がわからない、というような取り扱いをされていた。

私は、他の人のする苦労はしてないけれど、私がしている苦労は、他に沢山あり、誰にも何も言えてなかったので、彼にも言えなかっただけ、である。

彼から連絡はないし、私からもする気はない。

とにかく、社会調査を実際にしていて、調査法も教えているような人に話したら、問題がありすぎると、すぐにわかることしか起きていなかったけれど、私はチームの外のそういう人には、全く相談が出来ていなかった。社会調査について知らない人と、人生から追い出した人にはしていたけれど、特に後者は、まさに逆に、どうにもならない結果になった。

肝心なことを人に相談できずに抱え込むというのは、性懲りも無く、ついこの間まで繰り返していた。当時の私には、なす術もなかった。それを繰り返さないようにはしたい、と思っている。

全公開で、人に訴える練習しているし、どうせ人に言わないだろう、と、鷹を括られる状況から、脱することを試みている。やり過ぎだと思われるでしょうが、頃合いよく出来なかったので、現在の状況になっている、という点について、言明しておきたい。

なお、はっきり書くまでもないと思っている人については、書いていない。ここに書く労力すら、払いたくない。

社会学会から大学から、みんなでまとまって、総力をかけて、私を訴えるかもしれないけれど、そうなのであれば、私は、英語とマンダリンと韓国語も駆使して、国際社会をバックに、闘う。なお、私は限りなく小さい可能性も、考慮に入れているだけ。ロジカルシンキングばか、だから。

別に自分で潰れるだろうから、あるいは、相手をするまでもないからと放っておいてもらえれば、私は、ショービズでも頑張りながら、アカデミアのエッジで、それなりに生きていきます。

ただし、最後に言いたいのは、私のもう一つの博論構想にあるように、私がSNSに書くことは、例えサーベイランスにあったとしても、デジタルタトゥーであり、消えないアーカイブにデータを載せたのと同じであり、次の世代か、もっと後の世代の研究者により、分析されたり検証されたりするであろうこと。

チームのメンバーが志していたこと、それを引き継いで。もちろん、私はその記述の対象となることを、待ち望んでいる。メンバーに、本当の意味で、ファイトバックするのは、私ではない。その未来の、私たちみたいな、誰か、だ。


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