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SS『聖人プログラム』

※収載書籍『2999年のゲーム・キッズ(上)』→クリック
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 通り過ぎるクルマに泥をはねあげられツイてないなあと思った瞬間、閃いた。本当は「ツイていない」なんて現象はありえない。どんなできごとにも必ず原因があるはずだ。僕はハッカーだ。コンピュータの前で本気になれば、きっとそれを明らかにすることができるだろう。
 家に帰ると、さっそく作業をスタートした。街の監視カメラにハッキングする。いたるところに設置してあるカメラが捉える映像は、かなり過去のものまで保存されている。僕が泥をかけられた場所にアクセスして、問題の時間を正確にインプットする。その時の映像が再生される。画面隅から黒っぽい服を着た男がひょこひょこと歩いてくる。僕だ。その横に滑り込んでくる白いクルマ。画面を静止させ、ズーミングする。ナンバーがはっきりと読める。あとは車両管理データベースに入って、そのナンバーを打ち込めば、クルマの運転手のプロフィールがわかるだろう。
 しかし。映像を眺めていて僕は別のことに気がついた。その白いクルマに、対向車線の黒いクルマがパッシングをかけていた。白いクルマの運転手はそれであわててハンドルを切り、泥をはねてしまったのだ。悪いのは黒いクルマの方じゃないか。待てよ。念のために道路の反対側を映すアングルのカメラに入ってみる。案の定、歩道から子供が飛び出しかけていた。それが黒いクルマの運転手を動揺させたわけだ。
 僕は次にその子供が飛び出しかけた理由を、その次にその子供に吠えた犬のその理由を、そしてその犬を驚かせた音の理由をと、カメラを切り替えながら事実をどんどんさかのぼり、調べていった。すると僕のズボンを汚した犯人は本当は運転手でも子供でも犬でもなく救急車でもなく……。
 なんということだ。そのリンクは僕自身のところにまでたどりついた。僕が今日、家を出た瞬間にした、くしゃみのせいだったのだ。そのくしゃみは、家の前の道路を掃いて埃を立てていた隣のじいさんのせいだったが、さらにさかのぼっていくことは止めにした。もう、ズボンを汚された怒りは完全に失せていた。気がつくと真夜中だった。
 こんなサーチの作業を自動的にやってくれるプログラムがあったら……僕はそう思いつき、すぐに製作に取りかかった。一週間で完成した。特定の事件をインプットすると、街の膨大な映像データベースの海を泳ぎ回りながら原因の原因のそのまた原因を次々に探り当てていくシステムだ。この世のありとあらゆるできごとはなんらかの形で繫がりあっている。だからこれは放っておくと無限に動き続ける。僕は、そのリンクが僕自身の行動に繫がった時に、止まるように設定した。
 それから僕は、何かツイてないことがあるたびに、このシステムに打ち込んでみるようになった。驚いたことに、僕を襲うどんな不幸も……バスが遅れてデートに遅刻してしまったことも、滑る床の上で転んでケガをしたことも……理由をたどっていけばいつかは必ず僕の行動にゆきついた。それを知ると、僕は不思議なほど心安らかになることができるのだった。これまで、この世の中は嫌なことばかり、嫌な奴ばかり、そして僕はとてもツイていない人間だとずっと思っていた。でも、実はどんなことでも元をただせば自分に関係があり、責任がある。そう思うことができるようになったのだ。それで、世の中のことすべてが肯定できる。大げさだけど、心が聖人のように澄み渡ってくる。
 しかし、現実はそう単純ではなかった。
 数ヵ月後のある日、僕の恋人が死んだのだ。交通事故だった。
 悲しみのどん底で、僕はいつものシステムにすがった。彼女の死の瞬間のデータをインプットする。その事件の本当の犯人は、彼女をはねたクルマの運転手ではないのだ。運転手が酔っ払ってクルマに乗らざるを得なかった理由から始まったいつものサーチは……最後にはそう、いつものように僕、自身のところまで、来た。
 それはあまりにも悲しい結論だった。僕が、一週間ほど前に、彼女の誕生日プレゼントを作るために庭のモミの木を一本、切ったこと。それが原因だったのだ。
 僕は気が狂う前に大急ぎで考えをまとめた。
 このサーチ・システムをすべての家庭のモニター画面に送りつけることにしたのだ。
「何か不幸なことがあったらこのシステムに入力して下さい。するとその事件の原因が次々と表示されていきます」
 そんなメッセージを添えて。人々は好奇心にかられ、こぞってシステムを使い始めたようだ。どんな人の、どんな不幸も、仕事の失敗も、家族のケガも、元凶を手繰っていくと一人の男=この僕のせい、ということになる。街の人々の僕に対する憎しみは日増しに大きくなっていくわけだ。それが最高潮に達する瞬間を、今、僕は待っている。やがて人々は僕を探し始めるだろう。僕の姿を見つけ、石を投げつけてくるだろう。裁判にかけろ、死刑だと叫ぶ人もいるだろう。その時、僕はあの丘に行くことにしている。不思議な十字のモニュメントが立つあの広場に。そこに人々が集まってきた時、僕はそのモニュメントに自分自身をはりつけにする。そして、怒りをたぎらせた皆の手で、でき得る限りむごたらしく殺してもらうことを考えている。
 街中の人々の悲しみや憎しみや怒りを背負って、僕は死んでいくのだ。その時、この街のありとあらゆる不幸が、僕と一緒に、消え失せるかもしれない。

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