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『ガンキッズ』第1話「ケイは闇の中を深海の鮫のように」 ※無料公開中

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 ケイは闇の中を深海の鮫のように速くしなやかに進んだ。事前に入手した3Dマップを完全に記憶していた。車列の隙間を5.0メートル進んで左、3.0メートル進んで右。それを3回繰り返してから2.5メートル進んで、左を向く。
 手を伸ばすと、指先が冷たい金属に触れる。OK。立入禁止のチェーンだ。ここまでマップの通り、1センチのズレもない。
 その先は階段だ。チェーンをくぐり、足先でまず最初の段を確かめる。注意深く次の一歩を下ろし、そしてまた次の一歩。
 13段を数えて、次の足は前方にスライドさせる。そこは踊り場だ。
 突然、甲高い金属音が鳴り響いた。
 侵入者センサーのことは事前情報になかった。無防備に繰り出した足先が赤外線に触れてしまったのだ。ケイはその場で固まった。
 すぐに硬い靴の音が近づいてきた。
「誰?」
 警備員だ。階段の上で懐中電灯の光が揺れ、やがてケイの顔を捉えた。
 ここからはプランBだ。ケイは表情と声を作って叫んだ。
「ごめんなさぁい!」
「ちょっと、困るよ。どこの子だね?」
 不審者の正体が少女と知り、緊張が解けた声だった。
「猫が逃げちゃったんです。つかまえたらすぐに出まぁす」
 そして何かに気づいたふりをして踊り場の奥に向き直った。
「シロちゃん? いたいた、よーしよし、こっちおいで」
 存在しない猫の名を呼びながら踊り場を回り込む。死角に入ったところで足踏みをフェイド・アウトさせていく。
 耳を澄ます。上方から、ぶつぶつ言っている声が聞こえてくる。
 警備員がもし階段を降りて来たら、プランCだ。一瞬で、声も上げさせず、仕留めなくてはならない。ケイは後屈立ちの構えで備えた。
 声は止み、足音は遠ざかっていった。
 ここは銀行や企業ではなく街外れの雑居ビルだ。厳重な警備の必要などない。そしてこの時刻このビルの巡回担当は1人。営業時間を終えた地下駐車場に入り込んだ子供に関わることより、決められた時間通りに日課を終わらせることの方が重要なのだろう。
 靴音が完全に消えるまで待ち、ケイはその先の階段をさらに降りていった。

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 地下2階はボイラー室だ。機械音と排気音が響いている。パイプや電線の束が張り巡らされた空間を非常灯の緑色が満たしている。人間はいない。定期点検スタッフが次に回ってくるのは2時間後だ。
 3Dマップの記憶を頼りに壁沿いを進む。フロアの隅に着くと薄暗い壁に四角い枠を確認した。封印された扉だ。その向こうに、このビルの住民にもほとんど知られていないスペースがあるのだ。
 かつてこのビルには各階にダストシュートという投入口があり、住民はそこにゴミを捨てていた。ゴミはチューブの中を落ち、最下層のこの場所に集まる仕組みだった。
 戦後の高度成長期に建てられたマンションや団地で、欧米の高級マンションにならって多く採用された設備だが、やがて使用を中止する例が目立った。悪臭や火災の発生、害虫害獣の繁殖など、問題が続出したからだ。日本の風土には向かない機能だったというわけだ。
 このビルのダストシュートも、50年以上前に使用停止となっていた。同時にこの集積所も閉鎖され、やがて忘れられていったものらしい。昭和時代に建てられたマンションにはこういうデッドスペースが多く存在するのだ。
 壁に浮かんだ四角い枠はゴミの搬出口だったところだ。今は壁と同色に塗り込められていた。
 ケイは手探りで留め金を発見し回転させ、枠の上部に指を差し込んで体重をかけた。サビと塗料の屑をはらはらと落としながら、引き落とし扉が開いた。
 いったん背後を確認してから、体をすべりこませた。
 中は6畳ほどのがらんとした空間。かつてゴミをためていた場所だが匂いも足下のべたつきもなかった。そのまま奥に進むとドアに行き当たった。ドアノブが外されたあとの穴に指を差し入れ引くと簡単に開いた。すぐその先が階段だった。
 そこまでの空間を記憶してから引き落とし扉に戻り、内側から、元通りに閉めた。
 このビルは登記上は地下2階までということになっている。ケイはその下、存在しないはずの地下3階に降りていった。

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 片手で壁に触れながら、一段ずつ慎重に降りる。外部からの光は全く入らないこの空間が、それでも漆黒にならないのは、行く手に一つぼんやりと非常灯が点いているからだった。そこまで電気が通じているということだ。
 階段を降りきった先は行き止まりだったが、近づいて観察すると中途半端な位置に取っ手があった。壁ではなくそれはドアだったのだ。
 取っ手は金属製だったが、錆びついてはいなかった。引いてみる。がし、と、予想外に大きな音が響いたが、ドアは開かなかった。
 しばらく待った。
「誰?」
 男の声だ。怒った口調だが、上ずっている。不安や恐怖を隠しているのだ。
 目視で確認は出来ないが、ドア上部のあたりにスピーカーがある。どこかにカメラも設置されているだろう。向こうからはこちらが見えているはずだ。
「すみません、猫が逃げて。ここに入っちゃったんです」
 チッ、と舌打ちの音。
「猫なんて来てないよ。そのドアはずっと閉まったままだから、だいいち入って来られないし」
「来てます! だって声が聞こえたもん。すぐその先にいるから、ねえお願い、ドア開けて」
 泣き声で言った。
「わたしのシロちゃん……」
「だめ」
「お兄さんはここに住んでるんでしょ?」
「余計なお世話だ」
「ふうん。名前教えて?」
「うるさい。帰れ。ここのことは誰にも言うんじゃないぞ」
 虚勢を張っていることがはっきりわかる声だ。
「おいこら」
 ケイは口調をがらりと変えて言った。
「お前つけあがんなよ」
 うぐっ、と、相手が口ごもる様子が伝わってきた。
「すぐにまた来るからな。おまわり連れて」
「えっ」
 明らかに動揺していた。
「なんか変態ぽいロリコンがいて、地下のあやしい場所まで連れてかれそうになりましたって言う」
「ひどい! ボクは、ここで静かに1人で暮らしてるんだ。邪魔されたくないんだよ」
「隠れて住んでいるってことだな」
「お嬢ちゃん、引きこもりって知ってる? 病気みたいなものなんだ。世間と関わりたくないからわざわざこんな場所に住んでるんだよ」
「お前の病気のことはどうでもいいから、とにかく猫返して」
「あのさあ、猫なんか来てないから。連絡先置いといてくれれば、後で見つかったら連絡するから」
「つべこべ言ってないで、今すぐ開けろって言ってんの。一瞬でいいから。このドアのすぐ先にいるの。気配でわかる。隙間を開けるだけでいい。呼んで来なかったら、あきらめて帰る」
「うーん。仕方ないな。10秒だけだよ」
 くだらない会話だが、相手に多く喋らせることがケイの目的だった。ずっと抑揚と声質に集中していた。
 養成所でケイはチューリングテストでもヴォイスプロファイリングでも正解率95%まで達していた。
 ここまでの会話から、確信していた。相手はAIではない。人間だ。年齢は35歳から45歳。
 この男が50歳以下、つまり生きていることを許されている"人間"であることが、やっかいの種なのだ。
 ただしそのやっかいのおかげで仕事があるわけだった。こいつさえいなければ、ケイのような存在がここに送り込まれる必要はなかったはずだ。警察や自衛隊を動員して、害虫退治の要領で施設をまるごと処分することもできたのである。
 ところが虫に人が混ざっていたら。一緒に焼き殺すというわけにはいかない。巻き添えにしないために、この方法をとらざるを得ないのだ。
「はぁ……。いなかったらすぐに帰ってよ」
 かちゃ、と解錠音が聞こえた。
「ありがとう」
 取っ手を引くとドアがきしみながら開いた。隙間から呼びかけた。
「シロ、シロちゃん、いるの」
 叫びながら、するりと中に入った。
 薄暗い廊下。誰もいない。
「おい、何やってんだよ。中まで来ちゃだめだってば」
 あせった声は背後のスピーカーから聞こえていた。やはり男はどこか別の場所にいて、解錠はリモートで行ったのだ。
 細長い廊下のいちばん奥にはまたドアがあり、わずかに開いていた。
 この場所も灯りが少なく、状況は判然としない。ただ壁際に立つ観葉樹のような物体から、ケイは妙な気配を感じていた。
 わざと雑に歩を進めた。
「誰もいないのかなぁ。あっ」
 わざと足をもつれさせ、尻もちをついた。
「いたたた」
 そのまま座り込んで痛がっているふりをしながら、暗がりの中で両手を素早く動かした。
 何万回も練習した基本の動きだ。左右のブーツから木製の棒を2本ずつ抜き出す。それぞれを手の中で回転させながら組み合わせる。短い棒と長い棒が、組木パズルの要領でかちりとはまる。拳銃のような形状のものが左右の手にそれぞれ収まる。
 トンファー。シンプルだが美しい武具だ。短棒を握り込み長棒は前腕に密着させる。それでこの武器は両手と一体化し、存在感を消す。
 やはり観葉樹が動いた。壁に沿って音もなく、ゆっくりと近づいてきた。ケイは視線を外し気づかないふりをして待った。
 影の一部分がこちらに向かってしゅっと伸びた。瞬間、ケイは座った姿勢のまま後転した。伸びてきたものが踵をかすった。刃物だ。
 立ち上がった。はっきりと見ることができた。生い茂った葉に見えていたのは、全身を覆うぼろぼろの布地だった。その隙間から両手や顔が露出していた。
 手には鈍く光る三日月を持っていた。大きなカマだ。
 顔は乾きかけた泥土のようだった。皺だらけの皮膚の裂け目で目玉がぎょろぎょろと動いた。
 信じられない醜さ。間違いない。これは老婆、つまり女の……メスの老人、俗にババアと呼ばれる存在だ。
 本物を見たのは生まれて初めてだった。映画やゲームで見たイメージよりもずいぶん小さく感じられた。
 こんなに汚らしい生き物が実在することには、不思議以外の感想が見つからなかった。本人も自分の醜悪さを自覚しているはずだ。なのになぜ生きていられるのだろうか。
 顔が上下にがばっと開いた。口の中で、無数の糸がにちゃあと伸びた。
「このガキ」
 やはり本当に生きているのだ。これほど醜くなっても。(つづく)

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『ガンキッズ』……とある戦闘少女の、とある24時間の体験。

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