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SS『恋人』

※収載書籍『1999年のゲーム・キッズ(上)』→クリック
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「ただいま。寂しくはなかったかい?」
 勉強机の上に立っているミニチュア少女に僕は、話しかけた。
 彼女の身長は、25センチメートル。
「寂しいわけないわ。だって私、人形だもん」
「いや、君はただの人形じゃないよ。たしかに、生きてるんだ。少なくとも、僕にとってはね」
「あら、ありがとうウフフフフ!」
 彼女は小さな小さな白い手を口に当てて明るく笑う。
 その容姿も仕草も、彼女の〝原型〟である、美少女アイドルとそっくり同じだ。
 彼女は、いま人気絶頂のスーパーアイドルの、精密なミニチュア・コピーだ。
 肉体の凹凸をレーザー光線でスキャンする三次元計測装置を使って、全身のプロポーションをそっくりそのままデータ化することができる。それをもとに、オリジナルとまったく同じ容姿を持った精密ロボットが作られているのだ。皮膚には医学用のラバーフォームが使われ、手触りも生身の人間そのまま。関節はマイクロアクチュエーターによってじつに正確に滑らかに動き、本物のアイドルの仕草や踊りを再現してくれる。頭部には〝本物〟の性格や口癖データをインプットしたAIチップが内蔵されていて、簡単な会話に、器用に応えてくれる。
「歌いましょうか?」
 彼女は透きとおるような声で歌い、踊りはじめた。
 震えるように繊細に動く彼女の細い細い肩を、僕は、人差し指の先でそっと撫でた。
 僕はその〝原型〟のアイドルの熱狂的なファンだった。自分があこがれて、恋して、夢中になっていた、テレビで、雑誌で、コンサートで見つめ続けていたその人が、いつも自分の部屋にいて、話し相手になってくれる。そんなことがもし実現するのなら、どんなにお金がかかっても、ためらう者はいないだろう。
 僕は頰杖をついて、天使のように美しい彼女の姿を眺めていた。それはあまりにもリアルだった。生々しさをとおり越して、幻覚を見ているような気分さえ呼び起こした。ときおり瞬きする瞳、はにかむような笑みをたたえた唇。濡れたようにつややかな髪。すらりと伸びたボディー。服の下はどうなっているのだろう。
 彼女が歌い終わると、僕はわれに返った。
「ねえ君、今日はどんなことしてたの?」
「あ......ちょっと待ってね」
 彼女は手のひらをこめかみに当て、目を閉じた。
 彼女のAIチップは、電話回線を通じてセンターのホスト・コンピューターに接続されている。いま、彼女は、実物のほうの彼女の、今日一日の、現実の行動をダウンロードしているのである。
 このシステムのおかげで、さらにまた高額な通信料金が請求されてしまうわけだが、利用しないテはない。このミニチュアは毎日、本物のアイドルの記憶をコピーして、つまり同じ体験を所有することになるのだ。
「今日はね、新曲のキャンペーンで福岡まで行って、ラジオのゲストと、あとサイン会。で、そのあと大急ぎで東京に戻って......午後八時から緊急記者会見があったのよ」
 ? ......そんなことは全然知らなかったぞ。午後八時っていったら、ついいまさっきのことじゃないか!
「なんの記者会見? また映画の主役が決まったの?」
「内容は、明日のワイドショー見ればわかると思うけど......」
「............」
「私、結婚することになったの」
「え!」
「相手は、ほら、こないだのドラマで共演したときにウワサになった、あの人。で、ホントに急なんだけど、芸能界を引退することになったのよ」
「そんな! そんなこと!」
「ごめんなさいね。ホントなのよ。だからもう、お別れね」
「ウソだ! だって君は、たしかにここにいるもの。いなくなっちゃうなんてできっこないよ!」
「新しい、ステキなアイドルがどんどんデビューしてるわ。あなたの好みの娘もまた、きっと見つかるわよ。じゃあ、サ・ヨ・ナ・ラ」
 それが彼女の最後の言葉だった。僕は知っていた。この人形の寿命は、アイドルの寿命と同じなのだ。時期が来たら、こうやって壊れてしまう。そしてメーカーは商品を回転させ、また新しい人形を売りつけようとするのだ。
 ギィ、ギィー......。
 彼女の体のきしむ音が聞こえてきた。やがて、彼女の腰がゆっくりと曲がっていった。そしてその顔は、みるみるうちにしわくちゃになっていった。黒髪は、霞がかかるように白く染まっていく。
「うあー!」
 僕は叫んだ。僕に、古いアイドルに幻滅させ、つぎのアイドルに走るように仕向けるためのシカケなのか? なんて残酷な仕打ちだ!
「やめてくれ。君だけは、特別なんだ。僕は君じゃなきゃだめなんだ。いままでどおりここで、僕といっしょにずっと暮らそうよ!」
 しかし、彼女はあっという間に醜い老婆に変貌していった。僕はそれを直視することができなかった。顔を覆って泣きじゃくっていた。
          
 長い長い時間が経過した。
 いつの間にか音は止んでいた。
 夢から覚めたような気分になった僕は、机の上のその汚いものをつかみ、ゴミ箱にポイと捨てた。

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