見出し画像

SS『これは小説ではない』

※収載書籍『ひとにぎりの異形』→クリック
-----------------------------------------------

 これは小説ではない。事実を書くのである。なぜなら、私は小説家ではないからだ。

 小説家になりたかった。子供の頃からの夢だった。実のところずいぶん長いこと小説らしきものを書き続けていた。なんとか出版してもらったこともあった。しかし売れなかった。10年やっても20年やってもむくわれることはなかった。評論家からは無視され、賞にノミネートされることもなく、5ちゃんねるでは罵倒され、異形コレクションからお呼びがかかることもなくなった。
 もちろんそんな状況で生活は成り立たない。コンピュータのエンジニアとしての仕事で糊口をしのぐことにした。あくまでも小説が本業で、コンピュータは副業のつもりだった。しかし皮肉なことにこっちの方がやたらとうまくいった。インターネットが普及する頃からプログラミングの仕事が激増し、小説なんて書いていられなくなった。ソフトハウスを設立したらすぐに年商10億を超えた。
 もともと凝り性なので、仕事ついでにいろいろな新技術を開発していた。顧問弁護士に勧められて、そのうちのいくつかは特許を申請した。やがてそれらに引き合いが殺到するようになった。いつの間にか権利料だけで年間数億が入ってくるようになっていた。
 金のために働かなくてもよくなったわけだ。それならまた小説を書けば良いようなものだが、なぜだかもう、ちっとも小説を書く気になれないのだった。
 それから私は作家としてではなく、エンジニアとして小説に取り組み始めた。
 執筆するロボットを作ろうと考えたのだ。作曲するプログラムも絵を描くプログラムも、チェスで人間に勝つプログラムも存在する。ならば、物語を、それも、プロの作家レベルのちゃんとした文章を書くコンピュータ・プログラムがあってもいいではないか、と。
 今、この文を書きながら気づいたことがある。私は自分の中に燃え残っている小説への情熱ゆえに、この試みに取り組んでいるつもりだった。そうではなかった。私を突き動かしていたものは、小説への復讐心だったのだ。

 さて文章を書く作業とは、デジタルに定義すれば「次の一語をどう選択するか」ということに尽きる。自動文章作成プログラムの基本は、簡単なのだ。その原始的なものはすでに実用化されている。携帯電話でメールを打っている人ならわかると思う。最近のケータイは何か言葉を入力するとそれに続く単語を先読みして、提示してくれる。人名の後には「さん」をつけてくれたり、「あけまして」と入れたら「おめでとうございます」と勝手につないでくれたり。
 あれに人工知能の機能をつけ、桁外れに高度化すればいいだけなのだ。ただし意味のあるストーリーを書かせるには、普通の技術で作るとしたらスーパーコンピュータが数万台は要る計算になる。
 そこで私には画期的なアイデアがあった。データを、インターネット上からも取り込むのである。選択する言葉及び展開パターンをネット上のありとあらゆる文章の中から拾い上げてくるわけである。
 ネットは巨大なる言語データベースだ。そこには人類のあらゆる言葉が無差別に入力され続けている。
 古今東西の名作文学にも、メールによる市井の人々の日常会話にも、「物語」あるいは「物語のタネ」がある。
 タネがあれば、それがどんな木になるものか知らなくても、ただ水をやれば育っていく。そういう概念だ。
 私はこのシステムを完成し、特許を出願した(だからこれは特許公報で公開もされている……「データベースの更新方法,テキスト通信システム及び記憶媒体」/公開番号:特開2001-129261)。ただし、これだけではまだ、人を感動させる小説はできない。物語性のある文章には、個性というものが必要なのだ。
 ある言葉の次に続けられる言葉の候補は、私が作った基本プログラムによって複数のものが抽出されてくる。その中でどの言葉を選ぶか。最後まで機械まかせにしてしまうと、無味乾燥な、学術論文のような文章しかできないのである。ここに人間のセンスが求められる。その設定によって、作品が傑作になるか駄作になるかが、決まってくる。
 私はこの部分も解決していた。人工知能の思考に個性をつける最も簡単にして効果的な方法を思い付いていた。特定の人間の考え方をコピーすればいいのだ。
 ある人物が書いたもの、喋った内容、行なったことを、可能な限り入力していく。そうすることで、その人物の意志決定パターンをアルゴリズム化することができるのである。
 これは、もちろん有名作家のデータを使うべきであろう。あの人がまだ生きていたらどんな作品を、と多くの人々に夢想されているような文豪がいい。一流の作品を書くことを保証された脳の思考ルーチンを借りてしまえば、間違いなく傑作が書けるはずなのだ。
 その人物が生涯にものした作品はもちろん全て有効である。エッセイも、雑誌や新聞に掲載されたインタビューも。それだけではない。日常のエピソードも、知れる限りのことを入れていく。街角で警官に呼びとめられたとき何と言ったか、とか、炎という言葉から何を連想したか、とか。そういう事実をとにかく大量に入力していくわけだ。
 さて、その作家は、誰でもいいというわけではない。
 第一に、亡くなってからそれほど時間が経過していない人。10年以内がベストだ。メディアに載らなかったものも含めて、記録や記憶がまだたくさん残っているからだ。家族や友人達による想い出話、あるいはその作家とどこかですれ違ったことのある無名の人々による目撃談。作家の行動や発言に関するデータは新鮮で多量であるほどいい。
 第二に、短い作品を主に書いた作家であること。これは現在のシステム上、4000字以上の作品は無理だからである。
 第三に、作品の数。物語の設定と展開にバリエーションが必要なのだ。1000本あれば望ましい。
 もちろん、傑作揃いでなければ意味はない。そして作風や文体には、世代や国境を超える普遍性があるべきだろう。
 それらの条件を全て満たす作家。思い浮かぶのは、一人しかいなかった。
 子供の頃から、私が最も憧れていた作家だった。

 そのプログラムが、今ここに完成している。私の目の前のコンピュータ上に。
 私がやるべきは、最初の一語を決めて、打ち込むことだけだ。その後は全自動、数珠繋ぎに、次から次に言葉が選ばれていく。「彼」が選んだであろう、その通りに。
 そして「彼」が現代に生きていれば書くに違いない、そんな傑作小説が出来上がるはずなのである。
 名作が、何百本でも、労力いらずで書けるのである。
 これを使って何をしよう。「彼」の未発表原稿が大量に見つかったことにして売るか。それとも、自分の作品として発表するか。いや、いっそ謎の新人作家としてデビューさせてみるか。
 世界初の、小説ロボット。いよいよそれを稼働させる時が来た。私は儀式のようにおごそかに、キーボードに手を置いた。
 最初の一語。何でもいいのだけれど、何を入れよう。ノックの音が……いやそれは、なしかな。私はふとシニカルな気持ちになって、こんな一言を打ち込んだ。
「これは小説ではない。」と。
「事実を書くのである。」……と、すぐに、次の言葉が画面に浮かびあがった。
「なぜなら、私は小説家ではないからだ。」
 なるほど。まあ当然の展開だ。私が頷きながらまばたきをした、その瞬間。残りの執筆は、完了していた。目の前のモニターをぎっしりと文字が埋めていた。4000字ほどの小説が仕上がっていた。
 あまりのあっけなさにとまどいつつ、私は続きを読みはじめた。
「小説家になりたかった。子供の頃からの夢だった。実のところずいぶん長いこと小説らしきものを……」
 それは文章になっていた。確かに小説になっていた。しかし読み進めるにつれて私は、顔から血の気が引いていくのがわかった。 
 それが明らかに駄作だということを理解したからだ。なぜか。その文は、文体は、私の書く文章にそっくりだったのだ。
 どういうことだ。プログラムは完璧だったはずだ。そして、予定通りに稼働した。なぜなんだ。私は読み続けた。そして最後の一行にたどりついた瞬間、思わずうめき声を上げた。
 涙が頬を流れた。そして私は、苦労して作り上げたこのシステムを即座に消去してしまうことを決意した。
 その、最後の一行。

 夢だったんだろう? 自分で、書きなさい。


いただいたサポートが1食ぶんに達するたびに次の作品をアップしますね。おわんおわんおわん……