SS『幻の18年』
※収載書籍『1999年のゲーム・キッズ(下)』→クリック
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真夜中。俺は書斎にいる。オン・ザ・ロックのグラスを前にして、いまさっきバーで会った女のことをぼんやりと思い出している。
(......それにしても、よく似ていたな)
そう、その女は、あいつに生き写しだった。
俺は決心して、クローゼットの扉を開いた。懐かしいあいつの写真を探すことにしたのだ。
ふらりと立ち寄った場末のバー。その女はカウンターのなかにいた。
「どうかしましたか?」
目を丸くして見つめている俺に気づき、女は微笑みながら聞いた。
「あ、いや、知っている人に君があんまりそっくりだったから」
「あら」
「でも、人違いのようだな。その人は君よりずっと年上のはずだもの。君、いくつ?」
「十八歳よ。ねえ、その人って、もしかして昔の恋人?」
「カンがいいんだね」
「ふふふ。じゃあお客さん、私にほれちゃうかもね」
「冗談だろう。自分の半分の年の女の子にほれたりしたらヘンタイだぜ。そうだ、恋人より娘にならないか?」
あははは、おもしろいこと言う人......あらジュンちゃん楽しそうねどうしたの......あのねママ、この人、私のパパになってくれるって......まあよかったわねぇおほほほ......。
そんな戯れ言が煙草の煙のなかに溶けていく夜。俺は、カウンターのなかに立つその女の顔をずっと見つめていた。あどけなさの残る、しかし、どこかしら苦労の影を感じさせる顔。
俺の脳裏には、十八年まえのことが甦っていた。
やがて俺は気づいた。女の耳元に光るイヤリング。そのデザインにも見覚えがあったのだ。
クローゼットの奥から、写真はやっと見つかった。ネガも一緒だった。俺は机の上のパソコンの電源を入れた。ネガの一枚を丁寧にマウントして、スキャナーのスロットに差し込む。
写真をネガから直接デジタイズして、モニター上に表示するシステムだ。ジー......スキャナーがかすかな音を立て、やがて、画面にゆっくりと、彼女の懐かしい姿が現われた。
別れる直前、誕生日の記念に撮った写真だった。彼女は花束を抱え、ファインダーのこちら側の俺ににっこりと笑いかけている。その寂しげな笑顔が、俺の胸を締めつけた。
あいつは本気だった。俺は......わからない。ただ、間違いなくあのころの俺は若すぎた。
何が大切なことか、わかっていなかった。俺はあいつを踏みにじった。
十八年まえのある日、俺はあいつを一方的に捨てた。そしてそれから二度と会うことはなかったのだ。
俺は深く息をすると、マウスを手に持った。画面のなかの彼女の顔をクリックして、ズーミングする。
昔の写真でも、こうしてデジタル画像として再現すると、驚くほどの解像度が得られる。粒子の粗い紙プリントの写真と違い、ズーミングすればかなりのディテールまでを確かめることができるのだ。画面には彼女の顔が大写しになった。髪のツヤ、肌のキメまでわかるリアリティーである。
(やはり、似ている)
俺は画面を覗き込むようにして彼女の耳元に光るものを調べた。俺がその日、バースデイプレゼントとして贈ったイヤリング。真珠と銀が涙のしずくをかたどっている。
間違いない。さっき、バーで会ったあの女がつけていたイヤリングも、これとまったく同じデザインだった。
こんな偶然もあるのだろうか。運命の、皮肉ないたずら......。
(おや......)
画面を見つめていた俺は、もうひとつ、妙なことに気がついた。彼女の頰の、拡大された肌。その化粧の粉の下にうっすらと斑点が見えたのだ。
(あいつ、そばかすなんて、あったっけ)
じっと目を凝らすとそのそばかすは、彼女の両目の下から耳の近くまで、蝶のような形に広がっていた。そういえば別れる直前の数カ月、彼女は念入りに化粧をするようになっていた。それがこのそばかすを気にしてのことだと、俺はいまになって気づいた。しかし、そんなに急にそばかすが増えるなんてことが、あるものだろうか。
俺はあいつの姿を思い起こした。その頃、あいつはなぜか急に、身体にぴったりした服を着るのをやめていた。
(待てよ......)
このそばかすはいつか本で読んだ〝雀卵斑〟というものではないか。そう、妊娠初期の女性に出る......!
(まさか、あいつ......!?)
もし妊娠を告げられたら、俺は間違いなく「産むな」と言っていただろう。そして、それを機にあいつを捨てただろう。俺はそういう男だった。
あいつはそれを知っていた。しかし、いまの俺にはわかる。あいつは子供ができたらきっと産む。そして、何があっても育てる、そんな女なのだった。
しかし、真相は闇のなか。あれから十八年の歳月が経過している。十八......。
「十八歳よ」
突然、俺の脳裏にさっきのバーの女の姿が、もう一度はっきりと浮かんできた。
電撃に打たれたような気がした。そして俺は、モニター画面の前で思わず立ち上がっていた。
まさか、まさかそんなことが!
いつまでも立ち尽くす俺の前で、グラスの氷がカシャリと鳴った。
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