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「置き場」第1号を読んで②

間があいてしまった。
遅ればせながら「置き場」第1号の感想を置かせてください。

第0号のときは文量を揃えようと意識していたんだけど、今回はもっと気軽に好き勝手書いてしまったためぜんぜん揃っていません……。
ただ書きたいことがまとまってない(か、まとまりすぎちゃった)だけ、完全に技量の問題なので好き度はみんな一緒です。
あとまた順不同になっている可能性がありますが、コピペの問題なので意図はないです。
ダブルすみません。
何かご意見、粗相があったら教えてください。

↑「置き場」第1号はこちらです。



お湯が沸くときのポットの音楽が聞こえないからずっと不安だ

引き出しの中  真島朱火 

ポットってそういえば音楽がなるやつあった気がする。普段当たり前に聞こえてくるものがいつまで経っても鳴らない違和感。

連作を読む限り、主体のいる環境は人の入れ替わりが多く、主体自身も離職を経験していることがわかります。
沸点がいつくるのか、音が鳴らないまま温度が上がりつづけたらどうなるのか、または壊れていたり弾けてしまったら。この不安定さ。それはポットの話をしているようで、主体の感覚として置き換わっている風にも読めました。

助けられなかつた側のためにある天国といふ言ひ訳の土地

共振  岡本恵

一読してあの出来事を受けて綴られた連作だとわかるけど、どの事件にも通じるやるせなさがあります。
出来事に対して、ただ紙面や画面で見ただけではわからないこともあって、想像をするしかない。掬いとれないこと・救えないことに、虚しさや痛ましさが残る。
そんな思いを書くことを主体は選んでいて、その切実でまっすぐな目線は「姉妹」に対して、記事に向けられたコメントに対して、おそらくは自らに対しても向けられます。

誰・何が共振をしたのかは書かれない。けれどこのふるえを読み手が受け取ることで、またほかの共振へと繋がっていくのだと思いました。

季節のうちもっともグラデーションなのは冬の終わりとあなたは言った

翳る真冬  永井駿

繰り返される白、ひかり、赤、あなたのモティーフ、思考の緩やかな連鎖がインターネットの不具合のなかで幻想的に広げられます。
その点滅は走る電気を思わせ(実際に電気、電球の歌もある)、自身の脳の信号や表示されないパソコンの画面などともリンクしているようです。

「あなた」が季節の移ろいをグラデーションだと据えたことで、主体のなかにもオーロラの赤、頬の赤など、累々とした色彩の変化が映る。ぼやけながら続くその連なりが美しく、うっとりするような作品でした。

でも君は返礼品も迷わずにカロリーメイトしかも二回も

カロリーメイト  澪那本気子

間に回想を挟みながら流れるように進む、短歌条例のような組み立てかたの連作だと思いました。
「君」のカロリーメイトメープル味への怒涛の偏りにちょっと笑ってしまいました。あまりにも熱意がすごすぎる。でもこれは主体もすごくって、そんな君の偏愛を心配したり手料理を作ったりしてなんとかしようと奮闘している。情景がくっきり目に浮かぶような楽しい連作です。

師走には増える寄り道まっすぐに落ちる葉はなくそのようにして

リヴェール  小俵鱚太

歳末のどこか祭りめいた足取り。先にそのことを提示して後出しでさりげなく喩える、それがかっこいい。
しかもただの葉の散る描写をするのではなく、「そのようにして」! この読み手に有無を言わさない感じ。めちゃくちゃかっこいい。

まなざすという動詞は痛い、あの浜にあの砂にめざめない結晶

旅人  石村まい

まなざすという動詞はわりかし最近でてきた用法。〈まなざし〉を変化させた動詞として広く使われています。
それがなぜ痛いのかを考えたとき、真っ直ぐに見つめられる、その視線の痛みなのかと思いあたりました。まなざしは穏やかとも限らないから。

それから、「あの浜」から「あの砂」に画面がクローズアップされ、あたかもそこから掘り起こされたかのような「結晶」。
それは海が背景にあるはずなのに輝かず、むしろ砂糖をまぶした琥珀糖のようなやや鈍い光を持っているように思えます。
まなざすとめざめない。どちらも目に関する言葉で、片方は開いて、片方は閉じている。もしかして、深く見ることは痛いとわかっているから結晶はめざめないのかも。
それが何によって出来ているのかはわからなくとも、魅力のある一首だと思いました。

石村さんの連作は前回拝読したときも良い意味ではぐらかされているような感じがして、そんな語の斡旋にどこか浮遊感があって素敵だと思いました。イマジネーションの世界。

古着屋が潰れてコインランドリーになってたどっちにせよ行かないが

なんにもない町だよ  四丸よん

この町は主体にとってどういう位置付けなんだろう。長いこと住んでいる地元なのか、引っ越してきて間もない場所なのか。
いずれにしても好感度はかなり低いことが連作全体を通してわかります。タイトルが「なんにもない町」だとしているのもどちらかというとネガティブな感情から来るものなのでしょう。

この歌もやっぱり否定的で、でも主体はテナントの変化に気づいている。なんにもないと思いつつ、しっかり観察はしている。それをあえて「行かないが」と言うところが、(失礼ではあるけど)なんだかとてもかわいらしく思えました。
よくある諦観のようで、でもどこかしら期待があるような目を持って町を見る主体像がよかったです。

オスカルはブロンドの髪ひるがえしわたしを乱すビル風が吹く

別館三階  岡田奈紀佐

創作物はあまねく人びとに供給され、交わりはないのに共感したり、思いを寄せたりさせる。キャラクターは現実にはいないのに、いや、いないからこそくっきりと想像がはたらくのかもしれません。
革命期に生きたオスカルと、同僚を亡くしたのちも働く「わたし」。何を思っているのかはわからないけど、泡だつような気持ちとビル風によってなびく髪の様子、その寂寥を思い浮かべます。

平凡の鍵にて閉ざす平凡の、夜までは手放す私生活

朝  寺阪誠記

めちゃくちゃ好きな連作でした。とくにこの歌。
「平凡」、「閉ざす」、「手放す」、「私生活」、これだけを単語として並べるとそっけなく見える。
閉ざすことで手放すのであれば、私生活は鍵を開けるときにふたたび手に入る。主体が得たいと思えば鍵は回されるし、手放したままにだってできる。でもこの連作の主題は朝の情景で、手放すのは「夜まで」。
連綿と続くものへの愛着を感じられるような印象がありました。

ねむる子の防犯ブザーがぶら下がるカバンが僕にちょっと当たった

街の遠景  貝澤駿一

「ちょっと当たった」ことをあえて言うのは袖振り合うも多生の縁、みたいな感じだと捉えました。怒っているとかじゃなくて。
和やかなようでうすい緊張のある風景。ねむる子の無防備さ。それは尊くて守られるべきであるのに、彼らにつけ込む犯罪は無くならない。ブザーはそういう意味でのお守り、なのでしょう。
人同士の一瞬のすれ違いが生むものについて、その感情のうごきを思います。

さんがつのひかりの屈折花びらに混じる鱗のゆめをみている

いつか見た国  白幡皐

時期特有の模糊な空気をベースに連想しているような展開、そのすべての言葉が調和する感じ。
さんがつ・ひかりの柔らかさは花びらを、屈折のかくっと感(かくっと感?)は鱗のかたく角張ったきらめきをより強めていて、その呼応が心地よく感じました。
ゆめ、実際の夢というより白昼夢寄りでしょうか、そこに収束していくところがまたいいなあと思いました。

アメリカになることを夢見ています人に踏まれるのが好きなので

ちょっとした人  高遠みかみ

高遠さんはたにゆめ杯2のときに面白い歌を書くひとだと思っていたので、また連作を拝見できて嬉しかったです。
国土の広さを考えたらもっと大きい土地があるけれど、人口数を考えたらたしかにすごいのは断然アメリカ。けどそれが「人に踏まれる」ためになりたいのだという。ちょっと皮肉めいた、奇妙な願望。
冷ややかで距離がありつつ、じっと観察している感じ。連作を通して、そんな主体の発想や細かな言い回しが随所に光っていて面白かったです。
〈アイ ハブ ア 心臓〉の歌もよかったです。「はずなんだけど」の頼りなさがすごく人間ぽくって。

たべられた日からたましい剥製の硝子の目玉じっと見ている

やわらかな虎  湯島はじめ

たましいって結局なんなんだろうと考えるとき、霊魂って言葉があるくらいだからやっぱりこの世ならざるものとかおばけのことを思います。
硝子だと思っているのに見つめられている感覚。見ている側がただそう錯覚しているだけ、ではない気がする。その存在がかつて肉とたましいを持っていたこと、それを無くしてもなお、永遠を詰められて対峙するようにここにいること。
鹿の視線をわたし(読者)も感じていて、だからこそそこにあったたましいを思うし、自分の持つたましいとも目が合ってくる、そんな感覚を持ちました。

陽だまりに取り残された果肉へと差しいれる指ぬれてかなしい

暮らせる海  肺

シチュエーションが不思議だけど、なんとなくすごく腑に落ちた歌でした。何かの比喩かもしれないけど、わたしとしては景が頭にすっと入ってきたのでそのまま読みました。

すでにもがれ、皮を剥かれてある果肉。そこに指を差し入れるという行為はどことなく官能的でどきりとさせられます。でもそれにより主体は「かなしい」という感情を得ています。
深読みですが、わたしはこのかなしいは果肉が生き物じみていたからかなしかったのではないかと思いました。
果肉が露出している時点でもう果実としての生は途絶えているけど、陽だまりに置かれていたのならきっと果肉はぬるくなっていることでしょう。それが「ぬれて」と水分を帯びているところが、生物の、温度を保ちながら汗や血液などあらゆる水を包容して生きているところに直結するような感覚がありました。
そういう、果肉の持つ水分が、あとは食べられたり朽ちてしまったりをするのみを待つのがかなしい、そんな風に思いました。

書いていてなんか自分の言いたいことが違うような気もしますし、そんなことないような気もしますが、わたしも確かに「かなしい」と思えた歌でした。

入力のミスでグーグルマップにて賃貸マンションに着いてしまう

僥倖  涸れ井戸

最初にミスだと認めつつ、でもグーグルマップ「にて」とその責任の所在を転嫁しているようなおかしさ。またはグーグルマップに信頼を置きすぎた結果の「にて」なのかもしれないですね。
どちらにしてもこのギャラリーに向かうあるあるは本当によく分かるし、「着いてしまう」の途方の暮れ方も面白くて好きでした。
なんか住宅街にひょっとあったり、路地が入り組んでいて難しいんですよね……でも「秘密基地」っぽいから入ると楽しかったり。

伸ばすほどわたしのものではないみたい髪はお金を払って切ってもらう

窓  青藤木葉

伸ばすほど(に)自分のもとから乖離していくのか、伸ばすほど(でもない程度の愛着だから)自分のものとは思えないのか。
どんなようにもとれるような上句と、それに対価を払うことで手放す下句。このあっさりとした感じが好きでした。伸びきった韻律も感覚をさらに強めているように思えます。

いつのまにか伸びているものに対する当事者性の薄さと、それでも清潔・見た目を保つために手入れをすること、ひいては散髪を生業とする業界が確立していることの面白さというか、そんなことまで連想をしてしまう歌でした。

消音で笑う完成予想図に閉じ込められたような街並み

幽霊の午後  高野蒔

わたしはモデルルームとかマンションの広告が大好きで、なんかそのことを思い浮かべながら読みました。
結句までを存分に使って形容された「街並み」はとても洗練されていそうで、でもどこか空恐ろしいような印象があります。どこからも人がみんないなくなってしまったような、作り物めいた空間。
全体を俯瞰をしているような、タイトルの「幽霊」になったかのような感じ。高野さんの言葉選びの秀逸さがそう感じさせるのだと思いました。


のんびりしてたらまた次の締め切りに近くなってましたね、連作出せるかな。
次号も楽しみです🍋。
読ませてくださり、お読みくださりありがとうございました。

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