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『置き場』第0号を読んで

訳あって通勤時間が片道一時間半になってしまい、そのタイミングで「置き場」が公開した。
そういえば、もともとはこういう移動時間で短歌に触れることが多かった。家だとろくに動かないため、短歌のことを考えていることがほとんどないからだ。怠惰。

きっと何かの縁なのでたまに感想を書いて行けたらいいなと思います。
評がとても苦手なので思ったこと、ガチの感想で喋らせてもらっています。だいたい掲載順ですがたまに違ったりします。引いてきた順番なので意図はありません。
読みにくかったり、全然読み方ちがうよ〜とか、感想かかないで〜みたいなことあったらすみません。どしどし言ってください。

↑『置き場』は藤井柊太さんが管理人の、毎月20日〆切の短歌連作サークルです。




覚えのない雨でわたしは膨らんで無菌の竜の訪れを待つ
塩湖の晩年/篠原仮眠

『置き場』第0号 P2(以下、ページ数のみ)

上句を掴もうとしたとたんぬっと現れる「無菌の竜」(本当はまだいないけど、文字として)。
メタファーだとしたら何だろう。考えてみたけれど自分のなかでこれと断言できるものは見つからなかった。

無菌 と区別して書くことで、生物が本来菌を保有していることをぼんやり思う。
そもそも竜は架空の存在なのだから有菌の竜(ちょっとかっこいい)がいるのかさえわからない。けど、他の生物とも違う特別さが表れている。
曖昧だけれど確固としてある存在。それが来ることを予期して待っている。自分の預かり知れない・思いがけない雨に打たれながら。

……ところで、膨らむと聞くとわたしはなぜかいつもパンだねを想像する。菌によって膨張して形どられていく、生き物のようなもの。
そういえば雨水のなかにも少なからず菌はいそうだ。
いずれもこの歌そのものには関係のないことだけれど、その先行したイメージがあって、より竜の印象が際立ったように思った。

妹が新しい髪色でやってきて小さな家でまた泣いたのか
電話奥に街灯もとの母みえる 背中のふるえで泣いたとわかる
願い/展翅零

P2

わかっているからこそ、わかっただけで何も言わない。言えないのかもしれないけど。
家族は他人、とはいえ人によっては一番身近な存在で、支えたり支えられたりをしている。

「やってきて」や、「電話奥」だから今は一緒に暮らしていないのかもしれない。
でも、新しい髪色は妹にとっての転換で、背中のふるえは母にとっての感情の動くさまであること、それは観察によって推測されるもので、主体の愛の眼差しによるものに思える。
連作内で隣り合って配置されているのも関係の強い結びつきを思わせるようだ。


換気扇 タバコはナス科で喫煙は野菜炒めらしい、ほんとうに
熱源/なべとびすこ

P2

まずそうなんだ(タバコってナス科なんだな)が来て、次にまた、そうなんだ(喫煙は野菜炒めなんだな)が来る。
いや、二番目のほうには一度かなり戸惑う。
だけど、「ほんとうに」って言われるとその切実さから納得をせざるをえなくなる。
「ほんとうに」が、
・喫煙は野菜炒め説の提唱者が主体に向けて念押ししたのか、
・その説を信じ(るしかなかっ)た主体なのか、
・信じていない主体の(喫煙は野菜炒め説提唱者への)問いかけだったのか、色んなパターンが浮かんだけど、いずれにしても。

タバコという熱源から煙があがって、それがぼんやり換気扇へと吸われていく。連作としても繰り返し読みたくなる、とても好きな歌だった。

仮の世とさめざめ思うほうろうの電気ケトルに湯を沸かしつつ
まぼろしの海鳴り/さとうはな

P4

ケトルってすぐお湯がわいてすごく便利。でもなぜか、いつもいけないことをするような気になる。ズルみたいな、そんなことないのに。
本当なら水汲んで薪をくべて火を焚いて……みたいな工程があったのをすっ飛ばして、供給してもらったものを使っている。

その便利さを享受しているのって今となっては当たり前ではあるんだけど、どこかで、いつかだめになるような思いがぼんやりある。わたしにとって、その〈今〉は「仮の世」だ。そういう個人的な感慨を掬ってもらったような心地がしたのと、歌のモチーフの流れるような語感のよさが素敵だと思った。


両肺を留める金具のぎんいろのわたしはわたしを使い切らねば
花の匂いで空っぽの宇宙服/穴棍蛇にひき

P8

「ぎんいろ」はひらいて書くとやわらかで、でも少し頼りなさそう。その感じが(たぶん金具である)骨や器官といったもののもろさを表すようだ。でも、それでいてとても強く印象を残す。「両肺」でなく「金具」に重点を置いているからだ。上句のすべてを使って。

肺はポンプのように働き続ける。休みなく生きているから機能している。いつか金具はばかになってしまうかもしれない。それまで、いやむしろそうなるまで、最大限にからだを使い切るという意思。やわらかくて強い好きな歌でした。


愛憎も生きる証にしてしまう許さないままでも生きていく
霙/和田晴美

P10

上句、下句ともに生きる話をしている。だからだろうか、話題的には重たいのに、どことなくゆったりした構造の歌だと思う。

愛憎って言葉を見るとつくづく腑に落ちる。人に固執して、慮ったり期待したり、裏切られた・傷つけられたと感じたり。愛も憎しみも似た感情で、表裏一体だ。
証に「してしまう」だから、それは本意ではないのかもしれない。きっと手放したほうが楽になる。だけど、許さないまま/でも生きていく なのだな。


信じてる人たちのいるビルからは信じてる人がいっぱいでてきた
Pardon? がやけに流行った教室で/渓響

P11

むかし、駅からちょっと離れた雑居ビルで何かの団体の人を見かけたことがある。エレベーターから降りてきたその人たちは無言で、でも静かな熱があるのを感じた。今でもたまに思い出す。

なにごとにも信じている人と信じない人がいる。大きいところでいうと国とか宗教とか民族内での習慣とか。小さなところだと数えきれない。人によって(便宜上の言葉で言えば)信条は違う。一緒に暮らそうが飯を食おうが完全に同じということはない。
でもビルからでてきた人たちは「いっぱい」で、ひと塊りのように思える。

何を信じた人たちなのかはわからない。でも何かを信じているのはわかる。主体は今、その見えない信条が見える状態であるのだ。そしてそのまなざしから主体の信条はそれとはちがうところにあるのだとも思える。おそらく、これを書くわたしの信条もまた異なるのだろう。


太陽というより炎の色だった棚にしまったサプリの瓶は
ヘルシンキにて/古井咲花

P12

詞書には〈日照時間の短い時期はビタミン不足になりやすい〉とある。
このサプリもおそらくビタミン剤のようなものなのだろう。日本で買うにしてもパッケージが大抵暖色で、この瓶のことも大体イメージができる。でもそれが炎に近い色であったことが主体のなかに残る。

北欧諸国はその環境から家での滞在が長く、どうしても塞ぎ込みやすくなる。だから少しでも気を明るくするために色使いの鮮やかなものが多いと何かで読んだ。連作自体は夏の訪問のようだが、この瓶もその一環で明るい色なのかもしれない。

太陽はもとより遠い空にあり、まして冬季は存在さえ希薄だろう。夏は夜中まで明るく照らされていることを考えたら、この落差は計り知れない。
だから炎なのかもしれない。身近に手懐けられており、ゆらめきで温めてくれる。
でも、だからこそ強くて、うっすらと怖いとも思う。


傷つけてしまったあとのごめんねになんだか身が入らなくてごめん
アルト/今井マイ

P13

こういう感情の切り取り方をする歌が好きで、自分でも作ってみたいんだけどなかなかうまくいかない。むずかしいからすごいと思う。

意図していてもいなくても、傷つけた時点で消耗するものがある。
傷ついた側にとってはそんなこと言われてもよ……となりそうだけど、発してしまった自分に対しての怒りや情けなさを思うとわかるぜ……と主体の肩を持ってしまう。この歌のなかでは主体のことしかわからないから。
下句はかなり音が詰まっていてちょっと早口みたいに聞こえる。それが、こっちが本当の気持ちなんだなという実感に結びついてくる。


母のような話し癖の店員がいれば行き難いローソンになるだろう
86%/西鎮

P11

実際にはそんな店員はいない、けど何か思うところがあったかのような口ぶりをしている。話し方に母みを感じたのか、母とすがたが似ていて思ったことなのか。なんにせよこの母はかなり印象的だ。実際はどんな風に話すのか、何も書かれてないというのに。

わざわざローソンと限定しているから、普段から利用する場所ではありそうだ。そういうところに身内(っぽい人)がいると確かにちょっと嫌だ。気をつかう。でも相手からすれば全く関係ないことなのだ。そのことがじわじわと面白い。

連作読むのって楽しいな。ここに書かなかっただけで他にもたくさんいい歌があった。来月も読めたらいいな。
『置き場』管理人の藤井柊太さん、編集と評をありがとうございます。おつかれ様でした。

ここまで読ませてくださり、読んでくださりありがとうございました。

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