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夢の前の余興

 朔隼の言葉にころころ変わる紅夜の表情を見ながらひとりでワインを飲んでいた。羅貴は先ほどの令嬢とダンスに行ってしまった。

 前は紅夜がいたからなんとなく寄せ付けずにいることができたのに今夜は優十人ほど女性のしっとりとした流し目に見つめられている。しゃべりかけてはこないが無関心にはならない。自分を見つめるだけの目線だ。冷雅はまたため息をつく。


「あの……私と踊っていただけませんか?」
 おずおずと色白のまさに深窓の令嬢といった美しい令嬢が声をかけてきた。雪のような頬を赤らめている。真っ黒の髪をハーフアップに結い、まさに清楚なイメージだ。しかし、冷雅は先ほどこの令嬢が友達の品のない笑い声をあげていたのを知っている。清純さを装って自分に近づくつもりらしい。
「いえ、遠慮しておきます。失礼」


 冷雅はさっさとバルコニーの方に向かった。後ろで令嬢が不満そうな顔をしているのが分かる。バルコニーには誰もいなかった。ホールからのにぎやかな光が夜の闇を曖昧なものにしている。冷雅はまたワインを口に含む。赤ワインだ。渋みのある味が舌を包む。


 ホールの方を向いていると目の前を朔隼と紅夜が踊って行くのが見えた。
 朔隼の仮面姿は久しぶりに見た。始めて会ったのもパーティーだった。羅貴に無理やり連れてこられて同じ軍にいるという朔隼の姿を見たのだ。仮面をして、自分をしばらく品定めするように見ていたが挨拶をしてきたのだった。

 紅夜がほほ笑んでいる。目をきらきらさせて艶笑ともとれる笑みを浮かべている。キュッと赤い唇の口角をあげ、上気した頬は艶冶な魅力すら感じられる。白い肩にかかる黒髪がつやつやと輝き、顔に色を添えている。


 朔隼はといえば、意味深な笑みを浮かべている。緩やかに結ばれた口は凄艶な魅力を漂わせ、揺れる銀髪は非現実的な神秘を感じさせる。少し伏せた目はなまめかしい。男になまめかしいという形容詞を使うことは朔隼に会うまではなかったのだが。
 冷雅はため息をついた。自分はどうだろう。ただ、酒を飲んでいる。それだけだ。紅夜と朔隼のことをどうのこうのと思ってはいなかった。自分には関係のないことだ。

 
 いつもよりも酒を飲んでいるせいか考えごとが多くなる。
曲が終わり、紅夜がこちらを見つけて朔隼の手を引いて冷雅の方に向かってきた。
「冷雅。あなたは誰かと踊らないの?」
 夜闇の中に入ってきた紅夜はそういいながら冷雅の横に立った。朔隼も紅夜の影のように後ろに立っている。


「ああ。誰かと踊るのは好きではない」
 そういいながら紅夜の方を向き直ると紅夜はまだ顔を赤くして立っている。
「少し暑いわね」
 そういいながら手で仰いでいる。その姿にまた既視感を覚えた。確かに、前ここに紅夜と来た気がする……いや、初めてだ。でもこの感覚は何だろう。頭がくらりとした。
「冷雅。一緒に踊らない?」
 紅夜が突然声をかけてきた。朔隼がサッと紅夜の顎を持って、
「私とでは満足しないのかい?」
 と言っている。朔隼の独占欲の強さが感じられた。真剣な朔隼の目に冷雅はやれやれと離れようとした。


「そうではないわ。朔隼とはたくさん踊ったから。冷雅と一緒に踊っても構わないでしょう」
 紅夜はさりげなく冷雅の手を取って歩き出した。
「冷雅。悪いけど、紅夜は私のものだからね」
 朔隼が殺気すら感じる声で冷雅に言った。


 明るいホールに入ってからはさらにざわめきが大きく聞こえた。
「朔隼と踊ったらよかったじゃないか」
 冷雅はわけがわからず言った。
「朔隼はいい人というか少し……強引な人だけど、魅力的なのはわかるわ。だから少し落ち着かないと無理と言うか。心臓に悪いから」
 紅夜はやれやれというように頭を振りながら言った。
「それはわからんでもない」
 冷雅はそう答えてからすっと紅夜の腕を取った。
 曲が始まろうとしていた。


「さっき、一人の令嬢に声をかけられていたわよね?断ってたけど」
 紅夜は少し面白そうに言った。冷雅は紅夜が軍に入ったばかりの時よりもはるかに明るくて、ユーモアの効いた話し方をするようになったと思った。大人っぽい顔を見たせいか紅夜という人物について詳しく知りたくなった。身元ではなく紅夜という人柄についてだ。


 バルコニーの前を通った。朔隼が面白くないという顔をして立っている。片面の黒い仮面のせいでさらに雪のように繊細な顔が目立っている。紅夜が朔隼を見つけて深くほほ笑んだ。途端に朔隼は唇に麗しい笑みを浮かべた。
 豹変の速度に冷雅は目を丸くした。
踊っているとふっと頭の中にある映像が浮かんできた。

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