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もう一度君が見たかった

 こちらは朔隼が死んでなかったパロの物語です。本編をまだ読まれていない方は本編からどうぞ。

  刺された。それがわかった。
 背中の一点がカッと熱くなり、次の瞬間にジグジグと痛みだす。ナイフが自分の背中に刺さっている。
  紅夜の髪の香りがした。女性らしいふわりとした甘い香り。ただの髪に対してすら感覚が研ぎ澄まされている自分が面白くてたまらない。
  今この良い香りの髪の持ち主に刺されているというのに。

「君もあざといじゃないか……」
 自分の口がペラペラと意味のないことを話す。本当はこんなことが言いたかったんじゃない。本当は……君に伝えたかった。
 任務として君と親しくするうちに今まで感じたことのない感情が湧き上がってきた。それを今の今まで無視してきた。君に刺されてから気が付くなんてなかなかスパイスの効いた冗談だ。
 君に伝えたかった。君以外に私の感情を動かした人はいない。どんなに艶やかで秀麗な女性に話しかけられても好奇心の一つも浮かばなかった私が、君が目の前にいるだけで胸がときめいてしまうようになっている。
 君にしか私の感情を動かしてほしくない。ねじ曲がった願望。

「紅夜!」

 騒がしい。羅貴と冷雅が部屋に入ってくる。騒がしい。自分にはもう彼女に話しかける時間は残っていないようだ。紅夜をぎゅっと抱きしめる。そして彼女の魅惑的な唇に軽くキスを落とす。
 そして彼女を押しのけた。羅貴と冷雅がサーベルで部屋から逃げられないように構えている。
 そんなことは関係ない。朔隼はサーベルを抜いた。そして一瞬で二人の手からサーベルを落とし、廊下に飛び出した。背中の傷から血があふれ出している。朔隼が最後に見たのは床に倒れこんでいる紅夜だった。

 朔隼は用意しておいた非常用通路を使って、軍本部から抜け出した。なんの問題もない。ただ一つの結果が残っただけだ。 
 任務失敗。たったそれだけだ。それを年老いた父上に伝える。それだけをすれば、またくだらない日常に戻れる。

「父上……」
 一礼をしてにこりと笑った。薄暗い部屋で肘掛け椅子に座り、足元には十人ほどの女をはべらせている。
「任務は成功したのか?」
 父上は一番近くにいるやけに被覆部の少ない服を来た女に腕を回しながら言った。
「暗殺失敗。この火影家の存在が明るみになりました」
 淡々と答える。といっても今言っている内容はなかなか刺激的なものだ。
「愚か者!」
 父上・・・いや、この男は的外れなところに酒杯を投げつけた。だみ声が鼓膜を揺らす。しかし、この声に快、不快を覚えることはない。こんな声に感情を左右させる理由がない。
「出て行け! 出て行け!この、出来損ないめ! 火影家を奈落に叩き落とすつもりか!」
 この男はダンッと立ち上がり、足元で戯れていた女たちを蹴とばす。女たちは悲鳴を上げるが、それを気にする奴ではない。
「わかりました」
 私の名義で所有している別荘に行くか。もうこの家にいる必要はない。今まで通りの感情のない、人と呼べるかどうかも分からない自分にそろそろ飽き飽きしている。

「旦那様、お帰りなさいませ」
 侍女が震えながら部屋に入ってくる。
「紅茶をお持ちしました」
「ありがとう」
 優雅に受け取る。もうこの本邸にいる必要はないのだが、一応、ここにある資料を全て焼き払っておこう。それから別荘に引っ越す準備もしなくては。
「そ、それと……あ、あの」
「なんだい?」
 朔隼はついとこの怯えた侍女を見る。
「お、大旦那様が明日までに出て行けと……」
 朔隼はまたこの侍女を見る。退室するタイミングを逸して、紅茶をカップに注ごうとしているが手が震え、ソーサーにこぼしている。
 この侍女の怯えようが非常に愛くるしい。イライラするほどに。イライラする。
「そうかい」
 そして当たり前のように自分の感情を動かした侍女の命の火を吹き消す。
 倒れた侍女の顔を見る。なかなか美人だった。血に濡れた顔。最後まで怯えた顔だった。
 紅夜。紅夜に会いたいな。彼女にしか、私の感情を動かしてほしくない。奇妙な欲求。なぜだろうか。自分の考えていることがわからない。
「紅夜。君がここにいたらどれほど嬉しいだろうか」
 ピシリと背中の傷が引きつった。痛みが少しだけ走る。痛い。痛いと思ったのはこの傷だけだった。

 別荘に移ってから数年たった。数年というものはただゆっくりと一日中読書をしたり、体が訛らないようにトレーニングをしたり、下の街に出てみて、街の空気を感じた。
「知っているか? 二条院家の跡取りの冷雅様とえっと誰だったかな帝都軍の軍人のえっと……紅夜?とかいう方がご結婚なさるそうだね」
「あー!聞いたことがあるな。そうそう冷雅様が桜の木の下でプロポーズなされてから、冷雅様が古都軍に異動になられて、戻ってくるのを紅夜様が軍人らしく泣きもせずにただひたすらにお帰りを待っていたんだってな。そんで、もういちどプロポーズされて、それにお答えになってすぐに挙式だとか」
「その話本当ですか?」
 朔隼は思わず口を挟んだ。他人の話に口を挟むなんてことは生まれてから一度もしたことはない。
「あ、ああ。そ、そうですよ。えっと、若様。帝都軍本部の二条院冷雅様とえっと月影紅夜様は明日帝都で挙式するだとか」
「そう、ですか」
 朔隼はその二人から顔をそむけた。そして珈琲を一口飲む。苦みがやけに鮮明に感じる。
 冷雅と紅夜が結婚する。それはそうなるだろうと思っていた。止める気もない。ただ、ただ、紅夜が正式に冷雅の妻になるまえに一度だけ彼女の顔が見たかった。彼女の凛としたあの姿をもう一度だけ。


 帝都は朝から大騒ぎだった。あの名門中の名門の二条院家の跡継ぎ様が結婚されるのだから。
 ひそかに冷雅にあこがれていた令嬢たちは嘆き悲しみ、ひそかに軍の麗人たる紅夜にあこがれていた軍人たちは悔し涙を浮かべていた。


 挙式をする霊堂で待つ、新郎。まばゆいほどに白いスーツに身を包み、彼の体格の良さを品よく強調している。いつも冷徹な光を放っていた目は何故か恥ずかしそうに伏せられ、頬もほんの少しだけ上気している。さらさらの黒髪をキュッとまとめ、謹厳な雰囲気をまとっている。


 新婦が入場してきた。新婦を連れてきたのは彼女の父親ではなく、冷雅の父親だ。帝都の虎と謳われた勇将と共に聖堂に入るだけで周囲に彼女がどれほどまでに大切にされているかがわかる。


 新婦はウェディングドレスに身を包んでいた。マーメイドラインのドレスが彼女のキリリとした美しさを際立てる。体のラインが浮き出ているのがなおさら妖艶さを強調する。後ろに長すぎないトレーンが上品になびく。よくよく見ると銀糸で裾に細やかな刺繍がされている。


 ドレスに隙がないのはもちろんのこと、ベールはことさら長く、彼女の姿を周囲の視線から包み隠し、際立って神聖な雰囲気を醸し出している。後ろに長く引く、トレーンとベール。軍人であることを一ミリも感じさせない優艶な花嫁だ。
 彼女の顔は見えない。彼女はベールに隠れている。新郎と並ぶ。冷雅と紅夜がにこりと微笑あったのがわかる。
 手からすり抜けて行った彼女の微笑。その微笑が冷雅だけに向けられる。構わない。自分は……自分は、紅夜の事だけを見ていられればそれでいい。

 彼女はこの世で私の感情を動かすことを許された一人だけの存在なのだ。
 紅夜、すまなかった。任務と言い、君の一族を滅ぼしたのは渡しだ。どんなに謝っても償えない罪、贖罪の機会は一つもない。それが苦しいとは一つも思わない。ずっと自分の中に後悔として残るだけだ。


 そして愛している。君はこの世で一番素敵な人だ。君以外が私の感情を動かすことは許さない。決してだ。
 愛している。こんな言葉を使う日が来るなんて。
 そうだ。愛していたのだ。紅夜。今はベールに包まれ、冷雅の妻になろうとしている君を愛していたのだ。


「新郎新婦、誓いの口づけを」
朔隼は聖堂から出て行った。
 冷雅の妻になった君の姿は見たくない。私は今日のベールに包まれた君の姿を二度と忘れないだろう。そしてその姿の君以外はもう金輪際見たくない。


 君にもう一度会えてよかった。紅夜は美しかった。


「冷雅、さきほど銀髪の男の人が聖堂から出て行った気がするのだけれども」
「本当か! 衛兵! すぐに捜索を!」
「冷雅、落ち着いて。大丈夫よ。もしかしたら見間違いかもしれないわ」
 紅夜はそう言ってベールを外した姿でもう冷雅に向かってほほ笑んだ。

  

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