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わずかな時間

「冷雅、頼みがあるのだが、いいか?」
 羅貴が何故か非常に言いにくそうに切り出した。
「はい。何でしょうか」


 冷雅は羅貴に礼をしながら答える。紅夜は訓練の指揮を執っている。
 恋人になってからも、軍の仕事には私情を交えずに接しているつもりだが、羅貴となんと紅夜ご本人から『異様に優しい時がある』と言われてしまった。


「いや、その、付き合い始めた二人に本当に申し訳ないんだけど……」
 羅貴はいつもの快活な口調と打って変わった、はっきりしない口調で言った。
「はっきりおっしゃってください。それに、私と紅夜は付き合っていますが、それ以前に軍人です」
 冷雅はそうはっきりと言ったが、内心では何を言われるかとひやひやしていた。


「その……冷雅、古都支部に異動してくれ」


 異動。思ったよりも衝撃は少なかった。しかし、わざわざ紅夜との関係について言及してくるということは紅夜も異動ではないのだろう。


「古都支部は冷雅も知っている通り、妙な位置にいる。もともと首都であったことや、まだその地に名門華族が残っているせいで、他の支部よりも明らかに権力があり、帝都を無視しているような節がある。天皇も変わったこともあって出しゃばってくる確率がひどく高い。冷雅は桔梗の軍人だ。つまり僕と同じぐらいの影響力がある」
 羅貴は淡々と説明を続ける。冷雅は羅貴の周到な計画を聞くのが好きだった。自分もよく考える方だが、羅貴の方が戦略的な面では秀でている。といっても、この計画には素直に応じることができなかった。仕事に私情を持ち込まないが座右の銘である冷雅でもこれはさすがに酷ではと思ってしまった。


 それを感じ取ったのだろうか、羅貴が気まずそうに目線をそらす。
「いや、その嫌だとは思うんだけどさ……紅夜も一緒に行けない理由は、銀の縁取りがしてある軍人っていうのはこの軍にも十人いるかいないかぐらいで、古都に二人も銀の軍人が行ったら、冷雅と紅夜どちらに従えばいいのか混乱する恐れがあるからだ。ほんとうに申し訳ないが、これからの軍の統率を考えると重要な事なんだ」


 冷雅は黙っていた。嫌だ。紅夜ともっと長い時間、会えていなかった時間の空白をはやく消し去りたかった。しかし、これは軍の大事だ。自分の事情一つで変えられるものではない。
「わかり、ました」
 冷雅はやっとのことで答えた。羅貴を憎もうとは露ほどにも思わなかった。あえて憎むすれば、公私混同してしまいそうになった自分に対してだろう。


「紅夜に少し話してきても……」
「ああ、行ってきてくれ。特別休日を一つどうだい?」
 羅貴がやっと持ち前の茶目っ気を出してきた。
「結構です」
 冷雅は苦笑いで返した。羅貴と冷雅は上司と部下である以前に幼馴染なのだ。

「紅夜。少しいいか」
 ちょうど訓練の指揮を終えた紅夜が訓練場で水分補給をしていた。キラキラと光りに反射して輝くグラスで水を飲んでいる紅夜はなかなか誘惑的だった。真っ赤な唇が水で濡れている……いや、仕事中に何を考えているのだ。
 自分を律しながら紅夜の方に向かう。紅夜はこちらの姿を認めるとグラスを置いて、近づいてきた。


「冷雅。どうかしたの?」
「古都支部の長官に異動になった」
 一気に言ってしまった。
「……そうなの」
「それで期間はわからないが帝都を空ける。だから、その、あまり会えなくなる」
 
 紅夜は冷雅が困っているのが分かった。私はここで行かないでと引き留めるわけにもいかない。紅夜は会えなくなると聞いて一瞬涙腺が緩んでしまったことを隠しながらにこりとほほ笑んだ。


「わかったわ。手紙を送るわね。いつ異動するの?」
 冷雅が気負わないように明るく話す。冷雅とやっと心が通じ合えたと思ったら今度は冷雅が離れたところに行ってしまうなんて。
「二週間後だ」
「……はやいのね」
 紅夜は思わず言ってしまった。冷雅の目を見つめる。視線をそらしている。気まずそうだ。


「大丈夫よ。古都が落ち着いたら、会いにいくから」
 必死に慰めようとするが、冷雅の堅い表情が緩むことはなかった。
「ね? 冷雅」
 紅夜が促すと、何故かぎゅっと抱きしめられた。
「えっ……」
「すぐ戻ってくる。待っていてくれ」


 冷雅の真剣な声を聞きながら紅夜は冷雅の首元に顔をうずめた。
「それまで……悪い虫が付かないようにしなければ」
 冷雅はそう言って紅夜の首筋にちゅっと軽くキスを落とす。ここにだれもいなくてよかったと紅夜はとっさに思った。
 冷雅の耳が真っ赤だ。こんな風ことを女性にしたことがないのだろう。


 二人は残り僅かな幸せな時間を過ごした。

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