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野尻梢が思うこと

改めて私がどんなことを考えて生きてきたのか、自己紹介をしたいと思います。フラットな言葉で今に繋がっているポイントを挙げてみました。

最初の記憶は人間に掌があることを発見したこと

小さい頃は誰しもが自分や家族を描き始めると思います。わたしもご多分に漏れず、家族と自分の絵を描いていたのですがどうも手の様子がおかしい。こんなんじゃない、なにが違うんだろうと自分の手を見ながら絵を描いたところ掌がある(指と洋服の裾の間にくびれがある!!)と衝撃を受けました。それからはいろんなものをよく観察するようになりました。それが最初の記憶です。

めんどくさがり屋が高じて人生の公式を作り始める

周りの人と話をすると、たくさんの言葉を尽くすと伝わるものの、たくさんいろんな角度から説明しないといけない。すごく労力がかかる。もっとシンプルに要点を端的に表現できるようになりたいと考えはじめ、自分が言いたいことの本質は何かをいつも考えるようになりました。そしてどれだけ少ない言葉で言いたいことを伝えることができるか試していました。

その延長で、世の中の数多あるルールを覚えるのが面倒くさい、なにか数個の中心的な考えを覚えるだけで応用できないかと身の回りの経験から公式を作るようになります。
例えば、横断歩道を渡るときに手を挙げる、ということだけ覚えると横断歩道を渡るときにしか使えない。それは面倒なので、その理由を知り、小さいわたしが車の周りを歩くときに存在を運転席からでも気づいてもらう必要があるから、目につきやすくする必要があるということであれば、田舎道の側道を歩くときにも使える公式になる。

それぞれの経験から抽出した公式も数が増えてくるのでまたそれらを融合させて、両方の事例で使えるように抽象度を上げる、ということをゲームだと思ってやっていました。そうすると段々、まったく関係のない仕組みに関係性や、同じ展開になることが見えて来て、自然のような大きな存在の中に自分が組み込まれてることを感じるようになりました。ある日ふと、生かされてると感じて、自分にとっての大きな存在、自然のようなものに生きてることを許されるにはどうしたらいいんだろう?そもそも人間な時点で難しいのか?なんて小さいながらに布団を頭までかぶって考えてた記憶があります笑

そのとき自分を表すのはどんな単語をあげればいいか?という自分への問いかけには、確か

 暑がり めんどくさがり屋 負けず嫌い(自分に)

で自分の行動を全部説明できるなぁと考えていた気がします。このワードだと友達になりたくないですね笑

現実的にできるかどうかじゃなくてやりたいこと軸で次を決める

私は昔から自分に向いてることかどうかとか、今の自分に届く場所かどうかなど考えずにどこに行きたいかで次のステップを決めてきたなと感じています。大きなことではなくて、とっても些細なことからです。

例えば、小学生の頃にバスケットボールに夢中になり、学校が終わったら急いで家にランドセルを置き、すぐに引き返して学校のバスケットコートを陣取って、遠くの家の子が戻ってくるのを待つような毎日でしたが、決してバスケットボールは上手くありませんでした笑

それでも中学生になったらバスケ部に入ってスターティングメンバーに入る!と言っていた私を同級生は無理だと笑っていました。実際に中学校に入ってバスケ部に入部すると、私は休むことなく部活に通い、ボールを拾い、声を出し、目指した通り努力でその席を勝ち取りました。周りを見返してやろうとかいう考えはありません、それは次に書いた性格で、周りの意見(批評ではなくて感想)が気にならないからです。後に人生初の挫折でその席を手放すのですが、それはまた違うおはなし。

自分軸なので周りが気にならない、自分で決める(失敗もする)

本当に自由に生きていたので、好き勝手なファッションをしていました。人に見られたいとは思いませんし、人に指を刺されることにも何も感じないので、ただ自分の好きなような選択をしたらそうなったということです。。

でも今考えると母は本当に寛大な人(無関心なだけだという説もありますが)だなと感謝しかないです。私一人の時ならまだしも、一緒にいる時も指を刺されたりヒソヒソと話されたりする、そんな仕打ちを一緒に受けても一言もこのことに意見したことはありませんでした。そしてこの経験で、結構人を見る目が養われた気がしています。いまも昔も外側ではなく内面や行動で評価する方達や友人に恵まれています。

自己中心的な性格が高じて、人の幸せを祈る

自分のことを考えることで手一杯だったので、いつも参拝では自分の周りの人が幸せで健康でありますように、ということをお願いするようになりました。中学生くらいからだと思います。自分のことは自分でどうにかするので、どうかみんなのことをお願いします、と。みんなが幸せであれば、自分は自分のことだけを考えていられるから。だいぶ自己中心的な子供だと思います笑

人生初の挫折で大きく変わった視座と性格

先ほども挙げた、人生で初めて没頭したこと、それをすることが生きることだと本気で思っていた最初のものはバスケットボールです。
それほどのものに出会えたことにも感謝ですが、数年間朝から晩まで休日まで、自分はプレーできなくて声出しだけでも、その後中学1年生で5名だけ選ばれた先輩と練習できる権利により、通常練習に合流し、後輩としての雑務もこなし、ずっと精力を注いだバスケットボール、自分達の代になり公式試合デビュー直前練習試合で左膝を壊しスターティングメンバーの資格を失いました。

正直だいぶ荒れました。母にも強く八つ当たりしました。本当に壊れるかと思いました。なにも見えなくなっているとき、ある映画に出会い、感動しました。映画自体はいま見返してもど直球の感動もの映画です。でもその映画を見て、前を向けました。この刹那的に見ると誰がどう見ても悲劇的な出来事を、未来の自分が、あの出来事がなければよかったのにと思いたくない。むしろあれがあったから今がある、あの出来事があってラッキーだったと思いたいと思いました。わたしは自分に対してとても負けず嫌いなんです。それで、未来の自分があれがあってよかったと思えるように生きようと決めました。

中学生の頃なので、そのままわたしもこんな感動できる映画が作りたい!という思考になります。でもシステムエンジニアだった父の影響で絶対にエンジニアリングの力は必須になると感じていたので、その両方を掛け合わせて感動を掘り起こしたい!それでわたしのように何も見えなくなっている人がいたら、そのクリエイティブの力で前を向くきっかけになるようなものに携われたら、と考えるようになりました。

そこからはそこに向かって色々なトライアンドエラーを繰り返していきます。そんな子どもの頃の出来事がきっかけで誰にも負けないくらいポジティブな性格が出来上がりました。

このときに自分を表すのはどんな単語をあげればいいか?と問われたら

 暑がり めんどくさがり屋 負けず嫌い(自分に) 絶対的にポジティブ

となっていたと思います笑

時は進んで、なにが美しいと思うかを共感できる人とご一緒したい

新型コロナウィルスの蔓延により多くの方に多大なる影響がありました。わたし自身も、環境や取り巻くモノコトヒトが大きく変わりました。そこで感じたのが、なにを美しいと思うか、そんなことは美しくないと考え、自らの行動を選ぶことができる人とご一緒したいという思いです。
そのため、まずは自分が美しいと思う感性を共有できる方達とお会いできたらなと思います。筆まめではないので、ぽつりぽつりとになりますが、少しづつきちんとアウトプットを残し、誰に上書きもされない自分の言葉と行動を記録していきたいと思います。

これを見たみなさんが幸せで健康であれますように!

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