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尾形のラスト(個人的解釈「腐女子の戯言」編)

※ヘッダーイラストはワカツさんに許可をいただき画像をお借りしています。

 前回の尾形百之助ストーリー解釈はいかがでしたでしょうか?
 腑に落ちる点があったならば、時間をかけて悩みに悩み抜いて書いた甲斐がありました。

 さて、今回は私の内なる腐女子視点で見た、
「本当にそうかな?ちょっと考えすぎて余計な深読みしすぎてない?」
と思って記載を躊躇した解釈をつらつら書いてくよ。

(※「常識的な人間」にはちょっと受け入れがたい表現かも…と思って分けました。)

 それではスタート。

 309話でアシㇼパさんに毒矢を撃たれた尾形。
 毒を食らって、腹を切る一連の流れは尾形が親にしたことが自分に返ってきたと話題になりましたね。

 私はこのシーンを見て、「射精→着床→出産」をイメージしました。

 勇作さんに重なるアシㇼパさんが尾形に「気付きの光」を撃ち込み、尾形は帝王切開のように腹を切って「罪悪感」が”産まれてきた”。

 10月10日…かは、わからないけど尾形の中でずっと育ってきた罪悪感。
それが310話でやっと生まれてきた。
 難産だったね…。帝王切開というのも意味深長。

 尾形が自分の目を撃ち抜こうとするコマについては、「子宮」を意図して描かれているのではないかと考察する方がいらっしゃって(なるほど…)とも思ったんですが、私は「ハートに矢が刺さる絵」をイメージしました。

 目は英語で「eye」。eye(アイ)⇒愛(アイ)。
 「make love」は共同作業なんですよね。だから、勇作さんが登場した。
 二人で「アイ」を撃ち抜いたのか。意味深長。

 でも、私はあの場面には本物の勇作さんがいなかったから、尾形の一方通行だと思ったんですよ。
 あの勇作さんは幻覚だから。
 だから「ハートに矢が刺さる絵」のイメージを採用したわけです。勇作さんと同一視されるアシㇼパさんのイメージ的にも。

……いや、野田先生のことだから「子宮」が正しい気がしなくもない。
うん…。

 まあ、いいや。続けます。

 自分の中に罪悪感があることを知り、あの時ついに「自分が勇作を愛していること」に気付いた尾形。
 そして、「兄様は祝福されて生まれた子供です」という幻覚の勇作さんの台詞は、「自分は『欠けた人間』ではなく、他人からの愛を受け取ることができて、かつ、他人を愛することもできる『祝福された(みんなと同じ)人間』であること」を尾形が受け入れられたことを示しているのではないでしょうか。
 私はそう考察しています。

 まあ、あくまでここに書いているのは個人的な解釈なのでね。
 …野田先生が正解を発表するまで、私は自分の解釈を信じる。


 尾形が幻覚の勇作さんにしがみ付かれたまま列車を落ちていくシーン、あの場面はコミックスで修正されているので、できれば本誌掲載バージョンを見てみてね。
 本誌をちょっと顔から遠ざけて見てみると面白い発見があるよ。びっくりするよ。「ああ、異母兄弟しか勝たん…」ってなれるよ。
 
 もし、私が何を指して言っているかわからなかったらコメントください。


……尾形がたびたび勇作さんの幻覚を見ていた理由が、
「潜在意識でもう一度勇作に会いたいと思っていたから」だったらどうしよう。
アシㇼパさんを見た時に勇作さんが出てくるのって、
アシㇼパさんより勇作さんのほうに尾形の意識が傾いているってことですよね…。

なんかもう床を転げまわるしかないんですけど、あなたも一緒にどう?

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