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チャイナのウィズコロナ転換まとめ。2022年12月20日時点。

12月7日、突如として当局からチャイナのゼロコロナ政策が緩和されました。我々の言葉で言い換えれば事実上ウィズコロナ政策へ転換をしたことになります。
日本国内にいる僕にとっても、下記のように激しい変化を感じるものでした。まさに「蘇生」です。ズモモモーーッ!

「紅い方程式」をシステムに組み込む北京中央は、相変わらず無慈悲なマシーンですから、いったんウィズコロナ転換したら、もう日本政府の「屋外ではマスク外しましょう広報」がかわいくみえるほど、ウィズコロナウィズコロナしています。「え?コロナ、あんなんただの風邪」「自宅で転がってりゃぁ治るよ」「経済バリバリ盛り上げろよ」と。

大衆人民の日常生活破壊や、国際的なサプライチェーンの重要な立場を失うリスクまでおかして、あれだけ強権的に動的ゼロコロナを堅持してきたチャイナ。
突然の政策変更に対して、日本国内の識者も「結局、意固地になっていた習近平も、オミクロンに負けた、耐えられなくなった」、「習近平指導部は判断ミスをした」、また「チャイナ全土で同時発生した反ゼロコロナ&反習近平指導部を掲げるいわゆる白紙革命が全国的に広がるのを恐れた」などといった発信がありました。

果たして、本当に計算機能がほとんど働かず、人民の意見を汲み上げない単なる強権で、最悪の出口戦略だったのでしょうか?というのが本投稿の内容です。

僕としては、オミクロン狂乱と政治ビッグイベントの円満解決バランス問題を最良シナリオで解決しようとする(党総体というよりも)習近平総書記とその周囲にとっては、計算ミスもあったが最も妥当なタイミングであって、かつダメージがほぼ少ない最適解だったのだろうと、考えます。
今後振り返れば、評価は変わるかもしれませんが、現時点では少なくとも「習近平指導体制維持」という観点からは最悪の出口戦略ではありませんでした。また、「14億人の経済と生活レベル」という観点からは、現時点では良かったとも悪かったとも言えず、翌年1月にピークと言われる感染者と重症者のボリューム、医療リソースの摩耗を組み入れて計算してみなければ判断がつきません。

ウィズコロナに入ったチャイナ。
観測まとめとしては以下のようなものかな、と。

基礎的な背景。新型コロナウィルスオミクロン変異株への防疫戦争として、農村部医療リソース圧迫への保守的配慮が、科学疫学的に導き出された基本的な方針。(※とりわけ習近平指導部の「大票田」のひとつと言われる農村部や低所得者層が最も痛手をくらう医療崩壊は避けたい、と指導部が考えることは不思議ではない。)
2021年までゼロコロナを維持した功罪の「罪」の部分として、人民総体が別の新コロ変異株での集団免疫を獲得していなかった、かつ国産ワクチンの有効性の低さも含めて、感染力が強いといわれるオミクロン変異株蔓延でゼロコロナを開放するのは科学疫学的リスクが非常に高かった。

上層部の事前認知。科学疫学的には2022年前半からいつウィズ転換するのかというタイミング問題であることは北京中央は認識していた。
さらに産業経済的にも、大衆人民の行動規制心理的にも、ゼロコロナ継続は極めて非合理的になっていた。「移行するかしないか」ではなく「いつ移行するのか」という議論に。各国の対応を鑑みながら、もはや議論は科学的なものではなく、政治・統治機構上のタイミング決断に移っていた。

転換手法。それまでのゼロコロナ政策への党方針無謬性を保護するために、転換当初は過去方針を否定する法律というより紀律&慣習&間接的解釈での緩和(中華式デクレッシェンド、なし崩し的緩和)による転換とした。当局は、政治的タイミングによる転換だったと表立って語れないので、「ウィズコロナ転換の科学的正しさを積極的に語り、同時にタイミングの妥当性については語らない」という強いプロパガンダ策をうちだした。往々にしてプロパガンダで語らない箇所に、当局の意思が含まれている。
※中華式デクレシェンド緩和:規制やルールを制定した党の正統性を守るために、それら規制は変わってないのに、紀律適用を弱めて運用面で意図的に社会実装から外していく、チャイナの規制緩和手法。鳥インフルエンザ蔓延から収束時にも見られた。

転換タイミング。事前(2020年、2021年)に防疫戦争勝利を掲げてしまっていたことから、大イベントを新型コロナの影響で中止・延期させることに整合性がとれなくなっていた。そこでオミクロン変異株流行をなんとか抑えてのり切った北京冬季オリンピックパラリンピック後のウィズコロナ転換も予測されていたが、そうならなかった。結局冬季オリパラ後には、さらに新規感染者が増えて、毎日のPCR検査が義務化され、都市区域閉鎖なども散発した。次のビッグイベントは二十大であったが、結果から鑑みれば、単に二十大後というよりも、上海および北京で人民の反感を買うほど強権的行動規制を強いた李強(上海市トップ)&蔡奇(北京市トップ)の政治失点が人事に影響を与えなくなる二十大抜擢人事後、となった。つまり、政治大イベントかつ習近平指導部人事の勝利イベント後、と言ったほうが適正。
※余談レベルだが、二十大後には「白紙革命」による政策転換口実も得た。

転換速度。科学疫学的にはハードランディングに見えるが、政治的には十分なソフトランディングだった。(ここ重要。)
※緩やかなウィズ転換ならば怨嗟の声が政権に直撃していた。都市部リベラル人民が体制批判している暇もないほどに、実際の新型コロナ罹患で阿鼻叫喚。新型コロナ流行の嵐が過ぎ去ってくれれば、ゼロコロナも過去の話になっている、という上層部のプロパガンダ想定が働いている。※諸外国では、あの国だから急進的方針転換したといわれるが、急進転換も緩慢転換も上層部の選択肢にあって急進転換を選んだのは計算の結果である。

以上、とりとめもなく書き連ねてみましたけれども、3年に渡る狂乱は一応これで大きな転換点を迎えたことは間違いありません。


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