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安心と温かさ。

心の安心のために、からだをあたためること。でも、温め方ってあるんだなと最近思った。

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わたしはもともと心のバランスを保つのが苦手だ。小学校高学年のころから数年前まで、そんなバランス下手な自分を律する自分がいて、バランスを保とうとしていた。

でもそんな律する自分がいることで、余計に自分の中にギャップが生まれていき、心のバランスにもっと苦しむ自分を知ったとき、
もう心の波に身を委ねることにした。

簡単に言ってしまえば、「元気が出ない」ときどうするか、ということなのだが、
何に対しても無気力になる状態のとき「あぁまた苦しいんだね。いいよ、無理しなくて。」と語りかけるかのようにしている。

多重人格とまではいかないが、自分の中におそらくまるで性格の異なる幾つかの自分がいることを認識している。
きっとこれまで感じていたギャップの正体は、体に1番近いところにいる自分と、心に1番近いところにいる自分とのギャップだったのだろう。

この異なる幾つかの自分が、全く分断された状態から、少しでも重なる状態に持っていければ良いのだろうが、もうわたしは無理に近づけないことにした。
わたしが選んだのは、分断された全ての個々の自分を受け入れ、中でも体に1番近いところにいる自分に、心に1番近いところにいる自分が寄り添ってあげることだ。
対立ではなく、協調すること。
力づくではなく、治癒すること。

だから、布団から出られないときは出られるまで待つし、起き上がれないときは起き上がれるまで楽な体勢で横になる。
家事も一旦放っておいて、ご飯も食べたい時に食べたいものを食べたいだけ食べる。

もちろん人様に迷惑をかけない範囲ではあるが、
自分のためにしかならないことを「しなければならない」という状態から解放する。

でもなぜか、
それにももう少しだけ工夫が必要なのではないかと、ここ数日を通して思った。

ここ数日、
もともとの心のバランスの悪さに、多忙と体調不良と就職活動の行き詰まりという大きな波が降りかかり、
体調を戻してから何も手につかない日々が続いていた。

アルバイトも入れないようにし、1ヶ月ぶりくらいの終日休を2日ほどとった。

布団から出ても、居間で横になって携帯をいじったり音楽を聴いたりするうちに夜になり、朝を迎える。
多忙な1ヶ月、ずっと読みたいと思っていた本は読む元気がなく、ずっとできなかった自炊をする元気はあった。でも2日経っても無気力で、一体自分は何を必要としているのかわからなかった。

3日目の朝、
昼過ぎまで布団から出られなかった。
ありがたいことにこの数日必要な予定がなかったが、その日の夕方にはアルバイトが入っていたのでさすがにのろのろと布団をでた。

暖かい布団からでて、こたつのスイッチを入れた。前日も、前々日もしたことだ。
お腹は空いていない。

そのとき不意に、「温かい飲み物なら飲めるかも」と、電気ケトルのスイッチを入れた。とにかく簡単に済ませたくて、ティーパックの緑茶を入れた。

カップに入れたそれを飲んで、ほんのりと、体の内側からあったまっていって、そのとき、布団とかこたつとか陽の光とかとは異なる安心感を感じた。

どれだけ外から体を温めても、それで感じる安心感は空虚なものだったのだろう。
1番疲れていたのは、体に1番近い自分ではなく、心に1番近い自分だったのかもしれない。

寄り添う力はあっても、きっと疲れ果てて肌寒むかったのだろうか、1番温めるべきは、体の内側の、心に1番近い部分だったようだった。

体を内側から温めることで得られる本当の安心感。

これが特効薬というわけではないが、
様々な側面からやんわりと、しかし確実に影響を与える方法を、もっと学んでみるのもありかもしれない。

#日記

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