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そういえば気になる「コザ」の由来

はいたーい!沖縄市観光物産振興協会です。

沖縄在住の方や沖縄大好き!な方ならきっと聞いたことがあるはず。
沖縄市とセットでよく聞く「コザ」

今回は、’そもそも「コザ」ってなんぞや?由来は?’というコザ基本情報をご紹介しようかと思います!
良ければ最後まで読んでいってくださーい!


地図から消えた地名「コザ」


「コザ」は現在の沖縄市の旧市名です。

1974年4月1日に「コザ市」と「美里村」が合併して現在の「沖縄市」が誕生しました。

そう、現在コザという市名(地名)は存在しないのです。

沖縄市の変遷はこちら。コザ市の前は一瞬だけ「コザ村」時代もあったそう!


沖縄といえば、なかなか難読な地名が多いのは有名。

・勢理客(じっちゃく) 沖縄県浦添市
・為又(びいまた)         沖縄県名護市
・保栄茂(びん)             沖縄県豊見城市

・・・などなど。初見ではなかなか読めないですよね~。

ですが、カタカナの市名は「コザ」のみだったようです。
何故、コザなのか。そろそろ気になってきませんか??

「コザ」の由来


いくつか説はあるのですが、そのなかでも一つ、濃厚なのが・・・
’もともとあった「古謝(こじゃ)」「胡屋(ごや)」という地名を、米軍が誤読したのではないか’説。

それぞれをローマ字(手書き風)で見てみると、

左から「koja」「goya」「koza」

・・・確かに、筆記体などでぐじゃぐじゃって書いちゃうと、混同するのもわかります。発音も似ていますし。


なんと、1944年に米軍が作成した戦略地図には、既に「KOZA」というような文字の記載が!!!


そして、1945年4月に沖縄に上陸したアメリカ軍が、越来(ごえく)村字嘉間良(かまら)一体に宣撫隊本部を、同村字胡屋(ごや)に野戦病院・物資集積所等を建設しました。それが「キャンプコザ」です。


そんなこんなで、日本でも珍しい、カタカナの市名「コザ市」が1956年に誕生しました。

なんというか、米軍嘉手納基地が隣接している’基地のまち’ならではの説ですよね~。


「コザ」という市名(地名)はもうありませんが・・・
現在でも沖縄市(特に胡屋や中の町近辺)は「コザ」の愛称で親しまれています。

コザ小学校、コザ中学校、コザ高校・・・等の学校名。
コザ信用金庫、〇〇会社コザ支店・・・等の会社、支店名にも。

ちなみに、私たちのnoteの名前も「Welcome to KOZA」

私は一人でも多くの「コザファン」を増やしていけたらいいなぁ…と思っています^^♡
そのためには、note発信もっとがんばりまーっす。

コザの夜。(QLUB QUEEN)
アメリカンバーやライブハウスなどが立ち並ぶ通り。
つまるところ、大人の夜遊びにピッタリなまちなんです・・・!


「コザ」の琉米文化について知りたいなら


最後に、コザの琉米文化を学べる施設をご紹介します。

①沖縄市戦後文化資料展示館「ヒストリート」

沖縄市ゲート通りにあります。
県内でも珍しい戦後~本土復帰までの米軍統治下時代27年間に特化した、コザ(沖縄)の戦後史を学べる資料展示館です。
入場無料なので、是非。現在2Fで企画展も開催中ですよ~!


②RYCOM ANTHROPOLOGY(ライカムアンソロポロジー)

1954年にできた日本初のショッピングセンター「プラザハウス」の中にあります。
かつてプラザハウス周辺にあった「KEYSTONE」という写真館に保管されていた約8,000名の写真をはじめ、多方面から集められた琉米文化の資料から、数か月ごとにテーマを変えてモノクロ写真を展示しています。


いかがでしたでしょうか。
現在でも独特な文化やまちの様子が残る「沖縄市・コザ」
魅力いっぱいなまちです。是非遊びにきてくださいね~!


おまけ◎コザプチ情報◎
ミュージックタウン前の道路は「コザゲート通り」
米軍嘉手納基地の第2ゲートに繋がる道路です。
通称「ゲーツ―」と呼ばれ、バーなどが立ち並び
週末の夜は多くの人々で賑わいます^^


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