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ミハイ『幸福は外側の事象ではなく、内側の解釈による(意訳)』



📗フロー体験 喜びの現象学/🖊ミハイ・チクセントミハイ
http://sekaishisosha.jp/book/b354747.html

ミハイ・チクセントミハイの本を読んでいます。

まだ序盤です。
思いのほか面白いです。
気になったことや感じたことを書きます。

ミハイの発見

幸福は外側の事象ではなく、内側の解釈によるものであること。
つまり、受け取りようである、ということと解釈した。
起きたことよりもどう受け取るかが大事。


例えば、

サッカー中に危険なタックルを受けて打撲と内出血をしたとき、
ケガするなんて不幸だと取るか、
骨折や捻挫をしなくてよかったツイていると取るか。

このへんはポジティブに受け取るように私は徹底している。
今後の同事象への対策は講じたうえで
ポジティブに受け取る方が合理的だから。

ネガティブにモノゴトを考えている時間が多いと、
行動にもネガティブな影響を及ぼすようになる。

ダニエルカーネマンの著書、ファスト&スロー。

プライミング効果。フロリダ効果。イデオモーター効果。

プ:意識してもいない言葉が行動や感情に影響を与える。

フ:何かを想起させる言葉を聞くことにより、その何かを意識していなくともその何かを模した行動形態になる。

イ:観念によって行動が変わる現象。逆もしかり。これまでのは単語を無意識化で認識させることにより行動が変わった話。イデオモーター効果は、行動を遅くさせることにより、老人に関連する言葉を通常より早く認識する。

これらをまとめると、何かの言葉を認識すると行動もそれに準じる。
何かの行動を行うと、日常的にそれに関連する言葉を認識しやすくなる。

子供を持って初めて世界の子供を認識する

これを受けて思うのが、
子を持って乳幼児連れで外に出かけるようになってから、
世の中にこんな乳幼児連れでお散歩している家族がいるのか、
もしくは少ないなこの地域は、
と認識する。

独り身の時は世界の乳幼児連れの家族の存在を認識しづらい。
もちろん、数や比率はさほど変わらないはずで、
印象に残りづらかっただけかもしれない。

普段乳幼児に触れていることにより、
それに関連することが目に入り安くなる。

幼児の赤ちゃん返りや
大人の赤ちゃんプレイも
そういうことなのかもしれない。
(そういうことじゃないかもしれない)

幼児のそれがそうとすれば、
この一連の効果については
事理弁識能力というか
人間の知性や能力に関わらず
幼児段階から発生する傾向なのかもしれない。

“内的な経験を統制できる人は自分の生活の質を決定することができるようになる”

と、本書にてミハイは言う。

J・S・ミル『幸福か否かを自らに問うことによって、人は幸福ではなくなる』

と、本書では取り上げている。
ジョン・スチュアート・ミルについては
このくだりでしか存じ上げないが、
この文節だけをもって考えてみる。

これは、
幸福かどうかで物事を判断することは、
今その時点で幸福かどうかということを物事の判断基準にすることで、
二つの問題があるということではないかと考える。

問題1:幸福認識能力

今その時点での幸福認識能力により物事を測るということ。
つまり、
その時点で知らないもしくはよさを分かっていないことは
すべからく自分の中の幸福入れの籠に入れるのを拒否するということ。

トマトソースのパスタは風味もありとてもおいしい。
トマトはダシが出てトマト系のスープもとてもおいしい。

にもかかわらず、
子供のころにトマトが嫌いと判断したことで
それ以降のトマト食を完全に拒否するようなもの。

中国の故事成語の、
人間万事塞翁が馬とも近いかもしれない。

問題2:幸福か否かの軸でしか判断基準がなくなる

幸福かどうかはとても重要と思う。

しかし、
それ以外の判断基準もとても重要。

一般的な例を挙げると、
スポーツを極めるのは苦しい。
我慢や継続や見えない努力など、
とても苦しい。

苦しい、
よって不幸である、
よって尊ぶべき対象ではない、
とすれば、
それを乗り越えた先の達成(の可能性)に
行きつくことができない。

苦しみを受けることと、
達成が受けられないことのどちらが不幸なのか
その物事とその人の価値観によるとは思う。

幸福の価値基準が一軸しかないと、
幸福の総数も極小になる。

しかし、
多様な幸福の軸があることにより
様々な幸せの捉え方が生まれ、
幸せ者の総数が増える。

一般論でいえば、
幸せな人の総数が多い方が望ましい。

そのため、
単純な幸福か否かに捉われない思考が肝要と感じる。

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