急緩婆
小学校の家庭科の授業で、胡瓜を2ミリ以下の薄さで30秒で50枚切る、みたいな試験があったおかげで、あれからこれまで何本切ってきたかわからない輪切り胡瓜の全てに試験の気持ちがオマケでついてきた。
授業の中の試験は2人1組で進められた。自分は必死の形相と必死の包丁捌きで、組になった友人よりもトントントントン音を立てるボリュームが早い上とても大きかった。ぎこちない早送りのように、合格しなければというそれだけの勢いで無様に切った。
ややざわめく教室、先生の方向から感じられる大丈夫かしらな雰囲気、半分くらい切った辺りで、自分必死過ぎるのでは、もしかしてみんなこんななりふり構わず切っている私を憐れんでいるのでは、と挫けそうになる。
焦るのだ。
焦って、早く終わらせなければ!となるのだ。本当は着実に静かに涼しい顔で切り終えたいのに、その気持ちを押し退けて焦りが幅を利かせてくる。内側から溢れ出る必死と外側から迫り来る圧力で、途中で感覚が麻痺しそうになった。
あんなに必死に切ったのに、ギリギリセーフの合格だった。いや、合格したのだから問題は無いのだけれど、実は家で何本も何本も練習してきていたのに、涼しい顔で切っていた(ように見えた)友人よりも出来がイマイチなギリギリ合格だった事に凹んだ。
自分が思っていたよりも不器用だったのだと今は思うし、不器用でも頑張って生きようと思えるようにもなったけれど、あの気持ちはずっと私の中に残り、消えない。
胡瓜を見ると臨戦態勢だ。時間に追われず切って良いはずの現在でも、まな板に置いた胡瓜に向き合う時は『いざ!』と気を引き締める。
この気持ちを乗り越える日が来なければ、ずっと私は胡瓜と闘い続けるんだろうな。昨日は切りながらそんな風に思った。
なんだか敵が胡瓜みたいだけれど、本当は自分の内にあるものが敵なんだよね。今日は文字にしながらそんな風に思っている。
そして、文字にするということは、私にとって生理であり整理なのだな、と再確認している。
気付いたのだから今後は良い闘いがしたい。
これから切る胡瓜たちに祝福を。
私自身には、ご武運を。