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飴ちゃんコミュニケーション

飴ちゃんと言えば、おばちゃんのバッグに必ず入っているアイテム、なイメージがあるのだけども。

わたしも正真正銘おばちゃんなのであるが、飴は特に好きではないため基本的にほぼ買わない派に属していた。冬にのど飴を買ってみるけど食べ切らないうちに忘れ去る、又は数年に一度チェルシー欲が爆発して買うけど食べきれなくてしばらく置いておく、というレベルの消費量である。基本飴売り場は素通りするタイプなのだ。

昨年秋に転職してからちょっとしたお菓子を含め飴を貰う機会がかなり増えた。わたしはお菓子を持ち込むなど考えられない職場での仕事ばかりしてきていて、以前事務職をした時にデスクワークの人ってみんなデスクにお菓子を忍ばせてるんだと知り感動したのだけど、気付けば最近毎日のように誰かに飴を貰う。

みんなそんなに飴食うんか??って思ってしまうくらい貰う。この時期乾燥もするし、お客様とお話する仕事だから喉を大事にする気持ちもあるのだろうけれど、油断すると休憩バッグが貰った飴でいっぱいになっている。

よく貰うから、お返しできるようにこちらもなにか用意しておかねばという気持ちになる。ひとくち菓子とかも買ってみたりしたけれど、それなりに値も張るし、何より嵩張る。ああ、そうか、気軽にバッグに入れておいて気軽にサッと取り出せて気軽にコミュニケーションが取れる、自分にも相手にもさほど負担にならず日持ちもしかつ喉に優しい。飴というのはそういう優秀なアイテムなのか、と気付く。

だからと言ってせっせと買おうとは思わないのではあるが、貰った飴には気持ちがこもっているし、お返しするなら美味しそうかつ美味しいやつがいい、残ったらわたしが食べるのだし、と考えてしまうため、もらったものは頑張って食べる、お返しするために売り場で飴と向き合う、吟味する、食べてみる、キミに決めた、みたいな流れができる。

コミュニケーション、取ろうって頑張ってるなぁわたし。って、少したまってきたのど飴を眺めながら微笑んでみたりしている。たとえ消費が追いつかなかったとしても、この頑張りはわたしにとって小粒の進歩だよね、って小さな小さな甘い達成感があったりする。

そんなにおおごとに考えなくてもいいようなことなのかもしれないけれど、飴をやり取りするたびに人付き合いという自分の苦手な部分に甘い優しさを加えていけている気がして、ちょっと嬉しい今日この頃。

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